1月10日 続き
昨日は酒を飲んだから、「今日は特に酒の肴の心配も要らないし」、ということで帰ろうかと思ったが、9時20分・・・・。
いくら何でも勿体ない。
「とにかく搨菜でもあれば」と、道の駅まで行くことにした。
今日は特に寒いせいか、トイレが近くて困る。
病院に着いて30分そこそこで辛抱できなくなり、病院を出て20分ほどでコンビニのトイレに寄る。
そして懸案事項が片付いた安心もあったのだろう、「腹が・・・減った・・・」。
そこでおにぎりを買って、いつものダム湖ほとりの駐車場で食べようと思いつく。しかし駐車場に着いた辺りで、もう怪しくなった。
道の駅には搨菜はなかった。代わりに菜の花があったので2束買う。
もう少しすると生協でも菜の花が並び始める。いかにも「春が来た」という感じで姿も美しい。京料理や「季節の旬のもの」として、しか考えられない。「季節を味わう」という言葉が一番似合う食材だ。
が、道の駅で売っているのは違う。大概は茎が2センチ径くらいあって、正真正銘「菜の花畑からさっき採ってきました」といった風情。
「これ、大丈夫か?硬くて食べられないんじゃないか?」と思わされるくらいなのだが、見た目に違って炒めるとすぐ火が通り、何よりも柔らかく、甘い。
そういえば、道の駅について車を降りる時、隣の車の人が「おはようございます」と声を掛けてきた。
そして「良い天気になりましたね」と続ける。
返事をしながらそちらを見ると、赤いプリウスらしい車で、オレンジ色のパンツ姿の男性。70代だろうか。フロントガラスを拭き始めた。
車体は朝露が乾いたのだろうか、全体が土埃で水玉模様になってしまっている。でも、楽しそうでよい。勿論、黄土色の水玉模様ではなく乗っている本人の気持ちが、だ。
天気が良いので、普段は青空駐車だろう愛車で、出てきたのだろうか。
短時間とは言え、「片雲の風に誘われ」「漂泊の思い止まず」に、ついハンドルを握ってしまった。
ひとっ走り、道の駅まで行って、何か適当な食材を見繕って帰り、糟糠の妻にプレゼント、なんてね。
それとも当方の髭面を見て、似たような老人が風に誘われ、遊びに出た、仲間?と思ったのかも。
まあ、遊びに出たようなもんだけど。