1月6日(金)
夕方になって地元の八幡宮へ。ここはこの辺りの総鎮守となっている。
本来ならば住んでいる土地で参るべき神社は別にある。
ただ、本来の氏子だけでは神社の収入になるものがほとんどないため、その神社には神職が常駐してない。
代々続く神職の家の場合でも、他の仕事で生活費を得るしかない、という神社は多い。それに加えて「じゃ、俺がやってやろう」と思ったって神職の資格を取るにはそれなりの金と時間がかかる。
結果、神職のいない神社がどんどん増えて、地域の寄り合いの場であり、合議の場でもあった神社は次々に消えていく。
で、窮余の策として神社庁より委託されたその地域の鎮守社などが他の神社の維持運営を行っている。
こういうやり方は神社だけのものと思っていたが、由緒ある寺なども同じようなやり方をしているらしい。寺には神社庁みたいなものはないけど、代わりに各宗派の本山がある。
そういうわけで(?)、皇大神宮の神札(大麻)は神社庁に所属する神社にも置かれてあって、地元の神社でお受けすることができる。場所によっては町内会が世話係になって配って回る、などということもする。地元の神社の氏子だから、ということらしい。神宮>>総鎮守>氏神社>>氏子みたいな関係。
脱線した。とにかくその八幡宮にコペンで向かう。
年に一度しか参らないから、というわけでもあるまいが、道を間違えた。
道を進んでいくと分岐点にかかった。一方は無人になってしまっている有名な古刹。もう一方が目指す神社への道。
「あれ?神社は右側じゃなかった?」
でも、そう表示されている。気になるのは勾配が急になっていることだ。困ったことにUターンできる幅がない。進むしかない。
進むうちに気が付いた。ここは前にセローで通った道だ。・・・ということは・・・。
「注文の多い料理店」に向かうような気持ち。いや、既に「注文書」の通りに行動を始めている。後戻りはできないのに次の分岐点が待っている!
そして遂に展望の利く場所に出る。
農家の庭先にしか見えない道を通り、神社本殿の横から参道を通るというほとんど掟破りみたいな道を下って、やっとのことで年始参拝者用の駐車場を見つけ、車を停める。
ややこしい特別駐車場から今度は歩いて参道を戻り、参拝。神札を受けて車を置いた場所に戻る。
その時になって参道脇がすべて特別駐車場になっていたことに気づく。
帰りは本来の参道を通って帰る。当たり前。
帰りの道も対向車がやっと擦れ違える程度の道だったけど。
天神様の細道と違って、往きも還りもこわごわだった。
大変な思いをした分、御札に余計に有難みが出てきたかもしれない。