5月25日(木)
体調は悪くないが、血圧は相変わらず150台を行ったり来たり。
「どうしようかなぁ」と思っているうちに7時になってしまった。
散歩の如何にかかわらず、今日はゴミ捨てに行かねばならない。
何しろ独り暮らしだ、さほどゴミが出るわけではない。
それに嵩張る発泡スチロールのトレイや卵のパック容器は資源ゴミとして別に持って行くから、生活ゴミを出すのは十日から二週間に一度。それも30リットルのゴミ袋一つ。
草刈りをした時などは45リットルの袋に4~6個。ただ、こちらは本当に嵩高いばかりで。
でも、ゴミはゴミだ。昔(半世紀以上前)と違って庭で燃やすなんてことは出来ない。何が何でも指定場所に持って行かなきゃならない。
とにかくゴミを捨てに行こう。そして「ついで」に散歩に出てしまおう。
7時半過ぎ、ゴミを出しに行く。
珍しいことに小走りになっている。
いかん。こういう時に調子に乗って怪我をする。「注意一秒、怪我一生」は運転だけではない。あらゆる日常に言えることだ。
少し早歩き、みたいに修正して歩き始め、「しまった」と思う。
散歩コースの初めの辺り、荒ゴミ集積場の隣の空き地で小学生がランドセルを置いて遊んでいる。登校するために同級生と待ち合わせをしているのだろう。学校が始まるまでには、まだ少し時間がある。
通り過ぎて小学校の方へ向かう。
予想通り。校庭の通用口に面した横断歩道の前に髪の長い、マスクで半分以上顔を隠した男が立っている。
普段ならこれ以上ないと言える典型的な不審者スタイルなのだが、彼が全く怪し気でない理由は黄色い旗を持って立っていたからだ。
(とは言え、まあ、教員には見えない。相応に怪しい外見だから。)
おそらく父兄が当番制で立ち番をしているのだろう。
「父兄」という言い方が母親を軽視している、と批判されたのは反戦が声高(こわだか)に叫ばれたベトナム戦争の頃からだったように思う。
「戦争は男が勝手にしているのだ、エゴの塊だ。女性は平和を愛する!」
その頃から「父兄会」という名称は一気に廃れ、「父母会」或いは「保護者会」という名に変わっていった。
会合なのか組織なのか判別しにくいから、自然、会合の方は(「父母」とは限らないから)「保護者会」、組織の方は「PTA」に。
いずれにせよ、女性の立ち番はまず見ることがない。朝、忙しく立ち働いているのは女性、男は何もしないんだから立ち番くらいはしようか、ということなんだろう。感心感心(?)。
しかし、ここで立ち番に遭うということは他の出入り口にも、そして学校に至る何カ所もの横断歩道の前にも、何人も何十人も立ち番をしているということではないか。
そうだ。下校時にはそこら中に爺様が黄色い旗持って立っていた。登校時だって同じように立っているのが当たり前なんじゃないか。
「しまった」と思ったのはこれが理由だった。この時間に散歩に出るということは、若いお父さんやかわいい孫を持つ爺様と大量に交錯することでもあるということだ。
勿論、年の功。「おはようございます。お疲れ様です」と笑顔で声を掛けることくらいはできる。
けど、正直なところ、子供、好きじゃないんだよなぁ~~。
爺様よりは良いけど。
・・・・自分も爺様だからなぁ~。