CubとSRと

ただの日記

孫引きですが

2023年06月27日 | 心の持ち様
 「過ぎたことをいつまでも言わず、未来を切り開くことに力を注ぐべき」
 というのは至言です。
 けれど、事実をなかったことにしたり、逆にないものをあったと言い張って謝罪と賠償を要求し続けたり、というのと表裏なわけではありません。

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(読者の声2)
 外交評論家・故加瀬英明のコラム(2021年3月3日)から以下を引用。

 <憲法破棄せよ>。
 「私は1950年代末に、アメリカに留学した。 ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。
 コーデル・ハル国務長官が日米開戦の6ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究するチームを、極秘裏に省内に作った。  
 このあいだ、昭和天皇、東條英機首相をはじめ日米開戦を回避しようとして、日米交渉を通じて最後まで必死の努力をした。日本は蒋介石政権が大軍によって、国際的に認められていた上海の日本租界を攻撃するなど、さまざまな不法を働いたために、今日であれば国際的に容認される平和維持活動(PKO)を中国大陸で進めていた。
 11月26日に、唐突に手交されたアメリカの要求は、「ハル・ノート」として知られる。日本に対する最後通牒だった。

 若い省員だったボートン教授は国務省のチームに極秘を誓わされたうえで、その一員となった。ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前だったが、日本と戦って屈服させることを決定していた。
 ルーズベルト大統領は日米開戦の6ヶ月前に、蒋介石政権のマークを機体に塗り、アメリカ軍飛行士が操縦するアメリカの150機の爆撃機と350機の戦闘機によって、中国大陸から発進して、東京、横浜、京都、神戸、大阪に奇襲爆撃を加えることを陸海軍合同委員会に立案するように命じ、7月に作戦命令に署名している。  

 ルーズベルト大統領が日本奇襲爆撃命令に署名した文書が、1980年代にアメリカのABCテレビによってスクープされたが、なぜか、NHK、朝日新聞をはじめとする日本の大手マスコミは報道しなかった。
 これらの爆撃機を急遽、イギリスに供与したために、この騙し討ち作戦は実現しなかった。
 対日戦争が始まると、国務省の研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前年に第一次対日講和条約案がまとめられた。
 日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力の平和利用を含めて核の研究を永久に禁じるという内容だった。 

 日本占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。
 現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、再起不能な国家とするために、現行憲法を強要した。現行の日本国憲法は憲法と装った、日本を無力化する不平等条約なのだ。
 先の日米戦争の責任は、いっさいアメリカにある。日本国民は目を覚ましてほしい。」


 晩年、氏は、憲法破棄すべし、という遺言を繰り返し述べておられた。自民党も、これを党是としていたが、忘れているらしい。
 「不平等条約」と認識するだけで、内閣の決議で今すぐ破棄できる。そもそも、「不当な憲法の改正条項に従う」と改憲は難しいという認識が狂っている。

 植民地の奴隷が、主人が去った後も命令に永遠に従っている姿。それは悲しいが従順な献身的な伝統をひたすら重んじる独裁徳川家の家来の態度。
 つまり、何も見ない考えない行動しない、「有益なバカ」。

(在米のKM生)


 
 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023) 6月24日(土曜日)弐
        通巻第7808号 より
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