CubとSRと

ただの日記

若者は老人をバカにする。しかし老人は。

2023年08月02日 | 日々の暮らし
 「駿馬も老いては駄馬に劣る」。
 考えてみれば、「老いた駿馬と若くて元気な駄馬」を比べているからで、じゃあ逆に「老いた駄馬と若くて元気な駿馬」だったらどうなるんだろう。

 そう思ってネットで調べたら、「駄馬」というのは「ダメな馬」、じゃなくって「駄荷(一駄=160キロ)を運ぶ馬」のことなんだそうだ。
 そう考えたら若い駄馬って、「走れるし力も強い」言うことなしの馬に見える。対する若い駿馬は「走れる」だけだ。

 妙なことになったな、と思ったけど、駿馬の定義は?と考えたら。
 競馬に限ったことじゃない。いや、本来「駿馬」という言葉は西欧式の競馬が始まる前からあった筈だ。じゃあ、重宝がられた「駿馬」って何だろう。
 文字通り「俊敏に動く馬」。走るのが早いだけじゃなく、機敏な動作ができること。早い話が荒々しい気性の激しい馬。
 ということは、戦場でこそ真価が発揮される馬ということじゃないだろうか。
 「池月・磨墨」と言ういずれ劣らぬ名馬の話は有名だが、本来「池月」は「生喰」と書いたんだとか。意味はそのまま。「相手にかみつく」。気性が荒い証拠。騎馬戦の馬になった奴が相手を真正面から蹴り倒すみたいなもの。

 そうなると「駄馬」は大人しくて力持ち。「駿馬」は気性の激しい暴れ者。
 気性だけ激しい爺さんは、大人しい若者に弾き飛ばされる?かもね。
 「年の功」がなければ。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の思い

2023年08月02日 | バイク 車 ツーリング
 何度も書いてきたことだけれど、バイクに乗り始めたのは「必要に迫られて」。
 通勤のための交通手段が相当以上に不便だったため、すぐに免許を取れる原付に乗ろうと思いついたのが、沼にはまったきっかけ。
 普通なら十代で取得している免許を三十半ばで取ろうと思う。随分無計画なようだが、気が付けば三十数年になる。十分に当たり前の通勤ライダーだった。 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 旅の心象
        2019年02月19日 

 「海よりも早く 空よりも安く」
 ・・・という惹句、キャッチコピーを覚えている人、って、いくつくらいなんでしょう。

 JR西日本の夏期限定特別編成の寝台急行。「日本海」。
 郵便専用車両を改造したらしいバイク専用車両を最後尾に連結して、その隣はライダーだけの寝台車。そこから先頭までは普通の寝台列車。
 初めのうちは発売当日に大方売り切れてしまっていたようです。

 当時は日本海フェリーが確か32時間。それも舞鶴まで行かなきゃならない。出航は夜。小樽に到着する時間は朝の4時ごろ。早過ぎて、何もない小樽。
 飛行機という手もあったけど、何しろバイクを飛行機に積んで行くわけだから、べらぼうに高い。それから見ると、夕方5時、大阪駅出発、翌日、昼前に函館到着。ほどほどに走って一泊目。
 「弾丸より早く 機関車よりも強く」に似てるけど、なかなかのコピーです。

 その「モトトレール」で初めて北海道に行ったのが、バイクに乗り始めて二年目の時でした。
 バイクはだいぶ慣れて来たGB250 。
 以前に書いた、その時の日記の一部です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 昔、ツーリングで、何度か北海道に行きました。
 大阪発の夏期限定列車、急行「日本海」をベースとした、「モト・トレール」という、バイク専用貨車を一輌つけた寝台列車です。夕方の出発。
 一人で乗る者も、二、三人で乗る者もいる。けれど、みんな大阪に集まらなければならず、同じ車輌のベッドで寝ることになっている。
 同じ北海道に憧れて行くんです、気分が高揚していてすぐ仲良しになる。一時間もすれば、さっきまで見ず知らずだった同乗者みんなで、酒盛りです。

 それが翌日の昼前には終着駅の函館に着く。
 そうすると、みんな、それぞれが計画を立てた方向に走り出すわけです。
 見ず知らずの数十人が、一晩だけ、昔からの友だちのように集まって、バカ話して、大騒ぎして(ライダー以外の乗客は別の車両なので、安眠の妨げにはならない。時には逆に面白そうだから、と別の車両から宴会に参加する人もいる)。
 で、翌日は何だか後ろ髪を引かれるような、それでも今日の予定の景色の中に向って走り出す興奮を持って、函館駅で別れを告げる。
 名残を惜しんで集合写真を撮って。でも、二十分も経たないうちに、四方に散らばって行く。
 「モトトレール」のなくなった今、あの感じは、もう誰も経験できないんですね。つい、「遠い目」になってしまいます。

 名残を惜しみながら、でも、これから先に開ける筈の北海道の景色にとび込んで行こうと出発した。当然の事ながら、そこからは一人。
 期待していた景色が、眼前に広がっていくと同時に、寂しさが増して来る。だからと言って、昨晩の車内の楽しかった時間を思い出すか、というと、それは、ない。
 今、ハンドルに手が触れていて、エンジンの振動が全身に伝わって来る、それだけです。

 変な話かもしれませんが、その時は「今」、しかない。
 今寂しさを抱えている自分が北海道の景色の中を、ただバイクの振動や少し冷たい空気を感じながら走っている。
 さびしい、なんて言っても、上っ面だけです。そして北海道に来たうれしさ、興奮、というのも、心の底から湧き起って来る、みたいなものでもない。
 ただ、景色と空気とその中に自分が居て、「これを望んでいたんだよな」、という気持ちはある。

 今、こうやって思い出しながら書いていると、これ、バイクに乗ったことのない人、ツーリングに一人で出たことのない人には、想像もできないことなんだろうな、と思います。

 いや、想像出来ない以前に、「バカバカしくって想像する気も起きないよ」、なんじゃないかな、と思います。
 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする