十数年前、一週間ほど入院したことがある。
この日記にも何度か書いたと思うが、胆石による痛みから逃れるために胆囊を取ってしまう手術のためだった。
胆囊(のう)を切開して胆石を取り出す大手術よりも、安全な胆囊摘出手術の方がリスクが少なくていい、ということだった。
生体として不要だから退化した、と言われる臓器がある。
胆囊も名前通り「胆汁を溜めておく袋」であって、製造場ではないのだから取ってしまったからといって生き死にには関係ないこと虫垂と同じ、という考え方もあるが、だからと言って悪くならないうちから取ってしまおうという考え方は、とモヤモヤしているうちに、医学界の流れは
「人体に不要な臓器など一つもない(筈)。だから虫垂も不具合もないうちから取ったりするべきではない」
、が主流になった(元々、胆囊は虫垂ほどには軽視されていないけど)。
虫垂と同じく、そのまま取らないでおくに越したことはない。
胆囊がなくなって不具合を実感するようなことは、ここ十数年、全くない。
だが実感していないだけで、もしかしたら先日の「ドカ食い後、急に吐き気がして~」なんてのは「胆囊を取ったために胆汁が足りなくなった」からなのかもしれない。
脱線した。
入院していた時には、当然外出はできなかった。
外出できないから日記は全く書けなかった。
・・・となる筈なのに、実際には短いながら毎日、日記を2,3篇書いている。退院後はそれを日に2~3篇ずつ挙げていた。
「病み上がりだから無理をするな」と訪問された方から温かい言葉をいただいたが、それまでと同じく三、四日に一篇挙げることにしていたら何週間もずれ込むことになる。
しばらくは「何でこんなに日記を書いてしまったんだろう」と後悔しながら更新を続けていた。
「出歩かないから日記を書けない」、なんてことはない。
入院時は雑誌を持ち込んでいたから、載せられていた記事について感想を書く、ということだったらいくらでもできた。
と言っても、現実には朝、昼、晩で一篇ずつの計三篇も書けばそれなりに神経が疲れていた、という記憶はある。
僅か一週間の入院。その間に十数回分の日記を書けたのは、食事・洗濯等の心配を全くしなくてよいから、だった。
しかし、本当の理由は「PCがなかった(持って行ってなかった)から」、だった。
携帯も、勿論当時のことだからスマートフォンも持っていない。
「本を読む」か、「日記を書く」、しかすることがなかった。
つまり常に主役は自分だった。主役なら何かしなきゃ。
漫然と飯食ってるばかりじゃ、なんだか後ろめたい。
結果として、入院中は大変充実した毎日だった、と。