CubとSRと

ただの日記

とにかく生きる

2021年05月21日 | 心の持ち様
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和三年(2021)5月20日(木曜日)弐
  通巻第6916号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 書評 
 
 政治とは命を賭けて戦う気概がなくてはならない
  あまったれ現代人に告ぐ 狂瀾怒涛の時代の教訓は何か?

   ♪
近藤伸二『澎明敏  蒋介石と闘った台湾人』(白水社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 台湾独立運動のカリスマ的存在だった人物がいる。
付け髭にカツラ、変装して日本人パスポートを借り受け、日本人になりすまし、海外へ脱出した。変装の練習を何回もした。写真も何枚も撮影した。1970年頃のパスポートは写真の張り替えが巧妙にやれば可能だった。
 亡命劇には周到な準備が必要であり、まず受け入れ先、つぎに資金。その兵站を支える組織である。
 さいわいスウェーデンの関係者の努力で、この台湾独立運動のカリスマの亡命先は決まった。資金は米国の教会関係者が集めた。実践となると、支援者らはパスポートの割り印の偽造から、刻印の方法までを練習した。
 裏方のひとりは薩摩男児の宗像隆幸氏で、明治大学在学中の下宿のとなりが許世偕(のちの台湾駐日大使)だった。偶然の出会い、日本での『台湾青年』は、独立運動の地下組織だった。
義侠心に篤い宗像は台湾独立運動の日本人支援組織運動にのめり込んだ。
 澎明敏を台湾から脱出させるにはどうしたら良いか。亡命準備には国際的な連携も必要だった。このあたりは宗像の『台湾独立運動私記』(文藝春秋)に詳しい。
 宗像が選んだのは海外勤務から帰国したばかりの友人、阿部賢一だった。阿部は義侠心から、この危険な仕事を二つ返事で引き受け、台北へ飛んだ。
阿部が澎とあったのは当時米国副大統領アグニューの台湾訪問で、町が騒然としていた瞬間を狙い、日本航空台北支店のロビィだったという。この話は初めて聞いた。
澎明敏は国民党から目を付けられていた。その厳重な監視の目を誤魔化し、みごとに台湾から脱出し、香港からバンコクへ、そして北欧のスウェーデンへ亡命。段取りをとってくれた日本の友人・宗像隆幸にストックホルムから電報を打った。
電報はたった一言。「SUCCESS」。


▲まるでスパイ映画をみているようなサスペンス

 どんなスパイ小説より、現実は奇妙で奇跡的で、波瀾万丈。その詳細は、この本で読んでいただいた方が良いだろう。
 澎はその後、アメリカへ渡り大学教授の職を得て、ながい亡命生活、22年後に帰国し、民主化された台湾総統選挙に挑んだ。
 カリスマ的存在だった彼は、1996年の総統選挙で、李登輝をあいてに善戦し、25%を集票した。
 評者(宮崎)はこの1996年の総統選でも、澎を現場で見ているし、その後は何回も台北でお目にかかった。
十数年前には氏の主催するシンクタンクから台湾に招かれ、首相官邸にもインタビューにいくと、蘇貞昌首相との会話の通訳をしてくれたのも膨氏だった。
 亡命劇にもどると、日本で段取りをつけたのは宗像隆幸と独立連盟の許世偕、黄昭堂らだが、じつは宗像も回想録で「K」としか名前を明かさなかった黒子(黒衣?)がいた。評者も、したがって、この黒子の正体は、本書を読むまで知らなかった。
 宗像隆幸氏は、卒業後腰掛けで、石原萌記主宰の『自由』編集部にいたことがあり、最初にもらった名刺は「宋重陽」とシナ人風だった。
てっきり中国人と思った。
パスポートを貸した宗像の友人の阿部賢一氏は、何年か前に李登輝友の会のパーテェだったかで会った。「あぁ、なるほど、この人なら冒険物語の脇役を平然と務めるような、侍である」とすぐ気がついた。
その阿部氏もはや80歳を超えたが健在、山形県酒田市に隠居生活をおくる。宗像氏は、二年前に旅立った。
著者の近藤氏は、これらの関係者の殆どを三年掛けて訪ね、インタビューして歩いた。
それだから本書は秘話満載の労作であり、多くの人に読んで欲しい本である。
かくして1970年、世界をあっと言わせる西側への亡命劇には少数の日本人と在日台湾人が深くかかわっていた事実が、半世紀を経て静かに淡々と語られた。
                (註 澎明敏の「澎」は「さんずい」を取る)
       ◎◎◎ 
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あれ?

2021年05月20日 | 日々の暮らし

「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)6月20日(土曜日)弐
       通巻第6547号 
 
  似非作家・司馬遼太郎を擁護する磯田道史という歴史家の欺瞞
   ロシア革命はユダヤ人が実行した裏面史をわすれてはいないか
  ♪
 書評

 田中英道『左翼グローバリズムとの対決』(育鵬社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 共産主義を正面から説けなくなった左翼は、隠れ蓑にエコロジー、異常気象、公害、反原発、反基地などを選んで反対運動を組織化してきた。だが、予想したほどの運動の盛り上がりはなかった。沖縄を見ても、反対を叫ぶのは外人部隊、つまりプロの活動家たちであり、地元住民の顰蹙を買っている真実はよく知られる。
 嘗ては左翼を名乗ることがインテリの証明だと錯覚された時代があった。いまでは左翼は社会のゴミという認識が拡がった。全共闘世代はその出自を隠して企業に入った。
 そこで左翼は、もっと巧妙な、周囲を遠慮なくごまかせる隠れ蓑を探した。あった。LGBTと異常気象だ。だが、多くはこれらの運動を異常なものとみた。
 昨今の格好の偽造装置はマルクス主義に替わるグローバリズムだった。
「資本主義の自由を鉄壁の楯」として、資本(カネ)の移動の自由化、ヒト、モノの移動の自由を訴えて、多くの共感を得た。
世界市場を席巻した。ところが、その内実は国家破壊策動だった。根源に陰謀があることを、最初から見抜いた人は少ない。当初から警告を発し続けた知識人のひとりが、この本の著者、田中英道氏である。
 グローバリズムとは、かつてのインターナショナル。国際共産主義運動の変形であり、共産主義者の世界標準化を、狡猾に狙うものと田中氏は問題点を抉り出した。
だから「かれら」は、マルクス主義とか、共産主義とか、全体主義に直結イメージのある語彙を使わなくなったのだ。
 田中氏は本書で似非作家・司馬遼太郎を奇妙に擁護する磯田道史という歴史家の欺瞞を糺している。
またロシア革命はユダヤ人が実行した裏面史をわすれてはいないかと問題を問いかける。ユバノヴァル・ハラリとかの『サピエンス全史』を取り上げて徹底的に批判しているあたりも痛快である。
 司馬遼太郎が明治維新の近代化を理想のように描いたのは、江戸時代までを封建制度社会ととらえ、近代を金科玉条のように「進歩」とする誤謬による。
このような進歩史観は、ヘーゲル源流のマルクス主義史観を基盤とするのだが、「人間そのものが進歩するという誤った考え」でしかないと断言してやまない。
田中氏は以下を続ける。
「紀元前六世紀から紀元前五世紀に、東西の哲学はすべて出揃っていた。プラトン、アリストテレス、釈迦、孔子など、観念論、唯物論、道徳論など、原型はすべて出揃っていた。それ以後、人間の思想は精密になってもさほど進歩していない」(129p)。
 まさにその通りだろう。けれども、日本ではインテリ層の激しい劣化が起きている。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 標題の通り、ほぼ一年前に宮崎正弘氏が書かれた書評なんですが、何故日記として挙げてなかったんだろう?下書きのままですっかり忘れていました。
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修身と道徳の違い(?) 後

2021年05月19日 | 重箱の隅
 「道徳教育」には「押しつけ」、「強制」のイメージはありません。
 しかし、では「社会の中での徳のある生き方」、ってどうやって学ぶのでしょう。

 学校では道徳教育を、既に挙げた「偉人伝」や「美しい話」等の「手本」ではなく、日常の中にある話を題材として採り上げ、行います。
 道徳教育では教材に答えが用意されていない。「偉人の生き方」や「稲叢の火」のような、鮮烈な結末は書かれてありません。

 だから、こちら(道徳教育)に挙げてある話は、「手本」ではなく、「見本」です。
 社会の一員として生きるためなのだから、それで良いようなものですが、「見本」から、また言い換えれば結末(結論)のない話から、「徳のある生き方」を話し合いで小中学校の生徒が見つけ出せるんでしょうか。
 そしてそれは修身の「手本」を超える答えになるんでしょうか。社会について考える手立てどころか、そのための基礎知識だってまだ持っていないのに?

 社会の仕組み、在り方そのものを知らない子供に「社会での徳のある生き方」を考えさせ、答えを出させる。
 それじゃ
 「自動販売機の前に百円玉が落ちていました。さて、どうでしょう」
 、みたいなシュールな漫才と変わらない。漫才なら笑いが起こるけれど道徳の授業じゃ途方に暮れるだけです。

 修身と道徳。対立する二つの教育の仕方は、実は対立どころか同じところから発している、と書きました。
 そして対立しているように見せかけたのが、実は戦後レジームなのだ、と。
 戦前と戦後を分断することによって、まず戦前の日本の否定に掛かり、最終的には戦前の日本を消滅させ、戦後の、「生まれ変わった」日本を、連合国の思う「理想の日本」に育て上げる。

 修身が素晴らしい、いや、道徳の方が素晴らしい、と、口角泡を飛ばしていくら舌戦を繰り広げようとも、修身に象徴される明治以降の国家体制と、道徳に象徴される敗戦後の占領統治体制とを見比べなければ、答えは朧なままでしょう。

 というわけで、以前に書いた日記を一部転載します。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                 (略)

 さて、日本が二度と立ち上がれないように(世界の脅威とならないように)、その、「脅威となる根を、全て断ち切ること」。
 これが、占領軍の日本統治目的です。
 池上彰氏が言っているように「最終的には、日本一国で、世界全体を敵に回して戦った」、くらい、日本は危険な国なわけです。北朝鮮どころじゃない。
 
 GHQにとって、「危険」と見えたもの。

 その1、「国家神道」
 天皇、皇室を「頂点」とする国家体制。これが一番危険だ。
 少なくともGHQはそう捉えた。「宗教と政治が手を組む」ことのおそろしさを、欧米諸国は身にしみて知っている。
 利害関係でつながっていてこそ、「落としどころ」がある。
 ところが、日本は「手を組む」どころか、宗教と政治は天皇、皇室の存在により、一体となっている。こんなおそろしいものはない。
 だから、「神道指令」を出して、国家神道を廃し、「信教の自由」を盾に、一宗教、として他の宗教と並立させ、同列のもの、とした。天皇、皇室と、国民の分断、です。
 実は、日本は祭祀国家であって、宗教と政治が「手を結んだもの」、ではない。法王が国を「支配する」、という、「支配者と被支配者」の関係ではなかったのですが。

 その2、「教育」(教育改革、又は学制改革)
 表面上は、6・3・3制になっただけ、のようですが、教育勅語を否定、国定教科書も廃止、「修身」をなくすることで、生き方の「指針」教育を廃します。
 「修身」の教科書と、「道徳」の教科書を見比べられた方なら、すぐ気づかれるでしょうが、「修身」の教科書には、「手本」となる話が載せられています。
 つまり、かくあれかし、という「素晴らしい生き方」を提示する。
 それが「修身」です。
 対して、「道徳」の教科書には、「手本」というより、「見本(一例)」となる話が載せられています。
 これは「君ならどうする」、です。自分で考えさせる。
 
 「いいじゃないか。考える力をつけさせるんだろう?」と思うのが普通ですね。
 でも、たかが十年そこそこしか生きていない子供に、或る意味「人生の難題」みたいなものを考えさせ、自分で決定させるわけです。
 「大丈夫!シミュレーションだから」?
 
 子供の時に「見本」でなく、「手本」となるのは、大人です。その大人が、手本を示してやるからこそ、子供は大人を尊敬し、見習うのです。
 小学生だからこそ、「考えるための物差し」を持たせてやらねばならない。それは、大人の仕事です。
 そのために、「修身」という教科は、教育勅語と直結して存在するものでした。

 対して、「道徳」は、「君ならどうする」と、考えさせ、「みんな平等」と教える。
 「free」を「自由」と訳し、「自らに由る」責任も考慮した、明治の先人の思いを凝視せず、「自由」と「平等」を並立させたため、「権利」を強調せざるを得なくなり、「責任」を霞ませる。
 運動会で、手をつないでゴール、とか、ゴール寸前で足踏みして待つとかいった笑い話は、ここから始まります。
 これが「道徳」の延長です。

 その3、頭脳 (公職追放)
 神道指令を出すことにより、GHQが一番危険と考えた「政治と宗教の分断(支配者と被支配者の分断)」が成立しました。
 次に教育改革により、これまでの教育の中心となる考えを否定、禁止します。これで、次世代に「日本」を残すことが出来なくなります。「歴史の分断」、です。
 教育で、これをやる、ということはどういうことか、現在のシナ、南北朝鮮の国民の考え方を見れば分かるでしょう。国を造りかえるのは、家庭教育、学校教育をはじめとする教育の仕事です。
 GHQは家庭教育、学校教育、と、徹底的に教育を変えさせたことになります。
 たとえ占領統治下にあったとしても、ここまでされた国は近代には存在しないでしょう。言い換えれば、それだけ日本は脅威だったということになりますか。

 さて、現実に一番危険だということから、まず、取り組んだのが頭脳、思想的中枢の追放です。
 まず、国家を解体させ、教育を変えさせ、全てを新しく作り直すためには、同時に何をすればよいか。いや、何をしなければならないか。
 そりゃあ、もう、簡単なことです。これまで、各分野で中心となっていた人物を全て退かせ、新しく中心人物を据える。これしかない。

 占領統治をする側としては、自分等の言うことを100%聞く者を、それぞれのポストにつければ良い。簡単で確実です。
 勿論、それは敗戦前の日本に在っては反主流者なわけですから、追放される側から見れば、GHQに雇われた者は「裏切り者」と言える。
 言い方を変えれば、「戦後の日本は、裏切り者がつくった」とも言えます。
 「そりゃ、ひどい」?そうですね、そんな無茶な論法はない。
 主流と反主流の狭間で、苦しみながらも、日本を何とか復興させようとした人々が居たことを忘れてはならない。政治家には結構いたようです。正真正銘の「代議士」、ですね。
 でも、まずは、「公職追放」の中身を見て置かなければならない。

 学界、報道関係等々、国の思想的中枢、頭脳として機能していた組織には、全て戦争遂行を是とする人物がいて、当然それらのトップも戦争に協力していたことになります。だから、彼等を「辞めさせる」。
 と言っても、GHQには細かいところまでは分からない。そのため、まず、トップを辞めさせる前に、「民主主義国家をつくるために」と称して、協力者を募集します。自薦、他薦何れでも可。

 勿論、それが何を意味するのか、誰でも分かります。
 これまでの国家体制に反対する者が多く応募します。採用されていく者は、例外なくこれまでの反主流派です。
 GHQによって採用された数千人の「新しい国づくり」のリーダー達は、法外な額の給料を貰い、これまで主流派だった者をリストアップします。
 主流派でなくても、自身の学説の邪魔になる者も、ついでに、あげる。
 そのリストを遣って、GHQは主流派だった(?)人物を、「公職より追放」、とする。
 文化大革命時の紅衛兵の活動に比べれば、穏やかですが、理屈は同じです。「粛清」と言っても良いでしょう。
 この時、マッカーサーはGHQの組織員の大半が社会主義思想の持ち主だったことを知らず、採用した日本人の「新しい国づくりのリーダー」となる者の、ほぼ全てが同じく社会主義者であることを知らなかった。

 公職追放は危険を感じて追放される前に辞めてしまった者も多数あったので、絶大な成果を発揮します。
 これで、神道指令を出したことも、学制を変更したことも、現実に動き出すわけです。

                  (以下略)
 2010年11月21日の日記

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 修身と道徳について考えてみるためには、これだけの物事が係わっていることにも気をつけておかなければならないんじゃないかと思います。


2013.09/15
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修身と道徳の違い(?) 前

2021年05月18日 | 重箱の隅
「修身と道徳」の違い、ってのは、分かったようで能く分からない。
 「何となく分かっているような気がしていたんだけど」
 、という人、いません?

 「修身は戦前の国家主義・軍国主義の頃のもので、道徳は戦後。なんか民主主義っぽいだろ?」
 なぁ~んて、思ってません?

 そりゃ、修身というのが国家を意識していたこと自体は間違いない。
 けど、意識しただけで「修身は国家主義だ!」、なんて言うのは短絡的です。
 ましてや「軍国主義」なんていうと、
 「自衛隊が国防軍に名称変更すると、軍国主義だ、右傾化だ!」
 なんていうのと同じ。
 それはもう、一言で言うと
 「アタマ、タイジョブカ?」
 、です。
 そんなこと言ってたら、隣の「人民解放軍」なんて疾っくに人民は解放されて半世紀以上経ってるんです、何で用事もないのに存在してるんですか。目標は達成したんだから、解散すりゃいいでしょう。
 さもなくば「シナ共産党擁護軍」と改称する、とか。

 いきなり脱線しましたが、「修身」、つまり「身を修める」というのは社会にあってこそ、社会の中にいようとすればこそ、必要なことです。
 社会に適合し、社会を善導するためにこそ「身を修める」という意味があります。

 そして、実は「道徳」も同じです。
 「道徳」の「道」は、言わずと知れた「道」。これは「歩き方」、転じて「生き方」の意味です。柔道、剣道、などの「武道」も「茶道」「華道」も同じ。
 ということは「道徳」も、これまた「(社会での)徳のある生き方」という意味になる。

 修身は「社会のために、身を修めること」。
 道徳は「社会の中での徳のある生き方」、です。
 何だ、まるで同じ、じゃないですか。
 それどころか修身、道徳は並立するものではなく、修身の中に道徳が含まれているとも言える。
 「社会のために身を修める」というのは、一個人の積極的な「社会への関わり方」です。
 対して、「社会の中で徳のある生き方をする」というのは、「身を修めた」上での、「徳のある生き方」だから、もう一段上、と言えるでしょうか。

 それが「修身教育」、「道徳教育」となると、些か様子が変わってくる。
 「修身教育」というと、急に歴史上の偉人の言動や、名言などを覚え込まされ、「道徳教育」の方はみんなで話し合ってより良い日常生活を送れるようにする、といったイメージになってくる。

 何か変ですよね。何が変なんだろう。
 要は修身と道徳は対立するものではないのに、恰も本来的に対立するものなのだ、という捉え方で教えられてきた、或いはそう思い込まされてきた、ということで、その理不尽さに違和感を持つのかもしれません。

 「修身は押し付けられるばかりだ。偉人のマネをしろと強制されているみたいだ」
 「道徳はみんなでより良い社会をつくろうと考えさせられる時間だった」
 こんなイメージを持っている人は、だから、それ、ただの「思い込み」ということになります。学校教育の成果、です。

 書いて来たように、本来、修身と道徳は同心円のものです。
 戦後(というより敗戦後)、「修身」が否定されることに象徴される近代日本の国家体制の否定、替わりに敗戦後の占領統治体制(戦後レジーム、又はYP体制です)を是とする社会の創設に「道徳教育」は絡んでいる、ということです。

 そのことを知らず、「社会」について考えたこともない者が、
 「偉人のマネをしろ、と強制されていたのが修身教育だったんだろう」
 と想像するのも無理はない、と思います。
 社会に育てられ、これから社会に参加することの意味よりも、己が権利の主張「言わなきゃ分からないよ!」という事ばかりを教えられてきているのですから。

 社会に適合し、社会を善導するために「身を修める」わけですから、「修身」と称するのは当然のことであって、そこでは、反社会的な言動は「善」ではないと教えられます。
 となれば、それは「手本」を見て倣おう(見倣う)とするのが一般的になるのも当然のことでしょう。

 「強制」と感じるのは、大人が今の自分を肯定しているからこそ、です。
 「今の自分は十分に社会に参加できている。それなのに『それではいけない。直せ』という。自分のどこが間違ってるんだ。そんな『無理強い(強制)』なんか受け入れられるか!」

 それに対して、未だ己の把握もできず、従って十分に己を肯定することのできてないのが子供です。だから社会の仕組みも、社会に参加する、ということも全く分かってない。
 そんな子供が、「手本」とされるものを倣う(習う)のは当然のことではないですか。
 そこで社会の仕組みを学び、参加することの意味を習っていく、己の把握もするようになるのは当たり前のことではないですか。

 大人が
 「平仮名を覚えることを強制された!ひどい!」
 、なんて誰も言わないし、言っても、
 「何、言ってんだ?」
 、という目で見られるだけです。

 でも、子供が同じことを言ったら、手を換え、品を換え、して
 「世の中に出ていくとき、字も書けないようなことじゃ・・・」
 、と懇懇と説くでしょう?


                      (後半へ続く) 


2013.09/14



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あの裁判の結末(後)

2021年05月17日 | 心の持ち様
「永遠に反省しない朝日新聞」
               021.05.13 (木)

「櫻井よしこvs西岡力」敗訴でも「慰安婦報道」を永遠に反省しない朝 日新聞
(後半転載)

西岡 改めて整理すると、朝日新聞は植村氏の記事が出る前の82年に、「自分は軍の命令で女子挺身隊として朝鮮女性を強制連行して慰安婦にし た」という吉田清治なる男性の証言記事を掲載した。翌83年に吉田はその 証言を単行本にしています。いわば「女子挺身隊」を語る・加害者・を世 に出したのが朝日です。
 朝日のお墨付きをもらった吉田証言の影響が絶大 で、80年代半ばから「女子挺身隊」の名で慰安婦狩りをしたというウソ が、左派が支配する日本の学界の定説になった。韓国に留学した経験のあ る私からすれば、そんなことが起きていたら韓国人が蜂起していただろう けど、そうした話は現地で聞いたことがない。事実なら日韓関係の根底が 崩れるし、本当に「人道に対する罪」みたいなことがあったんだろうかと 疑っていた。
 植村記事が出た91年に朝日は吉田を2回大きく取り上げ、植 村氏の記事で“被害者”の証言を出すことで、慰安婦は女子挺身隊の名で強 制連行されたという朝日のプロパガンダが完成してしまった。植村記事は 吉田証言のウソをサポートした悪質な捏造記事だった。

櫻井 今回の裁判で、もともと植村氏は「女子挺身隊」が「慰安婦」とは 別の存在であるということを知っていたと、法廷で語っています。
 これは 植村氏に対する尋問の最後に、裁判官が踏み込んで質問したことに対する 回答でした。つまり「女子挺身隊」として連行された「慰安婦」という話 が、本来成り立たないことだったと、彼自身知っていたことになります。 それなのに、なぜそういうことを書いたのか、理解に苦しみます。
 西岡さ んが先ほど仰ったことは非常に重要なことですね。それまで吉田清治の詐 欺話で日本軍が女性たちを強制連行したと言われていたけれども、研究者 や朝鮮問題の専門家の多くが「そんなことはあるはずがない」と疑ってい た。韓国の人たちもみんな知っていた。日本軍による慰安婦の強制連行
な どなかったこと、「女子挺身隊」が連行されたこともなかったと知ってい た。しかし、植村氏の記事で被害者の“実例”が出てきた。
 今まで虚構だろ うと思っていたのが、初めて証拠が出てきた。これは大変なことだと大騒 ぎになった。
 その頃から朝日以外の新聞も書き始めた。朝日新聞がつくっ た壮大なフィクションが、植村氏の記事によって「本当かもしれない」と いう現実味を帯びてきた。こういう構図が現実世界の中で創られてしまっ た。
 その結果、植村氏の記事は本当に深刻な結果をもたらした。私は西岡 さんの先程の説明と重なることを言っているのですが、この構図をしっか りと頭に入れておくことが、慰安婦問題についての朝日の責任を知る上で とても重要です。

西岡 本当の加害者と被害者が証言して、国内外から批判を浴びるのなら 仕方ありません。被害者がそう言ったなら特ダネに値しますが、実際は 言ってないことを朝日が書いた。しかも、それが記憶違いじゃなくて、 言ってないどころか彼女が女子挺身隊ではなかったと知っていたと。あえ てウソを書いたという事実は重い。

 14年の慰安婦記事の検証報道でも、朝日新聞が謝ったのは「うそつきの吉 田に騙された」ことだけ。植村氏の記事については、「意図的な捻じ曲げ などはありません」と書いて未だに恥じない。

櫻井 私は今回の一件は「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさ ず」だと感じています。植村氏が提訴してくれたおかげで、彼が「女子挺 身隊」と「慰安婦」は関係がないにも拘わらず、両者を一体のものとして 記事を書いたという事実が判明しました。

 そこからさらに発展して、西岡さんが指摘なさったように、この問題は朝 日新聞そのものの問題であることが明らかになった。天の目は朝日の悪行 をきちんと見ていたということです。この判決を受けて、もう一回、自分 たちの行った捏造をきちんと反省しないといけないと思う。
 朝日新聞は 「誤報」という指摘については受け入れるけど、「捏造」ということに対 して強く反発して否定します。けれど、西岡さんの説明にもあったよう に、どう見ても捏造をしたとしか思えない。

 日本人に対する裏切り

西岡 見過ごしてはならないのは、私の最高裁判決を報じた朝日新聞の姿 勢です。3月13日付の朝刊に目を通すと、どこに書いてあるのかわからな いくらい小さな扱いで、そのベタ記事にはウソが書かれている。
 判決に 至った経緯を〈東京地裁は、日本軍や政府による女子挺身隊の動員と人身 売買を混同した当記事を意図的な「捏造」と評した西岡氏らの指摘につい て、重要な部分は真実だと認定〉したと書き、これは正しいのですが、問 題はその次ですよ。〈東京高裁は指摘にも不正確な部分があると認めつ つ〉と、私の指摘に不備があったとわざわざ書いた上で、〈真実相当性が あるとして結論は支持していた〉。地裁では「真実性」が認められていた けど、高裁からは「真実相当性」に格下げしたとしか読めないのです。

櫻井 「真実性」が認められたことを省いた。とんでもない記事ですね。

西岡 はい。実際の裁判では、一番重要な「女子挺身隊として連行されて いないのに、そのことを植村氏は知っていながらあえてウソを書いた」と いう点について「真実相当性」ではなく「真実性」が認められています。 
 その評価は地裁と高裁で変わっていないのに、朝日が掲載した記事が「捏 造」だったと最高裁が認めたということになれば、最終的には自分たちに 責任がかかってくる。読者がそう思うかもしれないからと、あえて自分た ちの責任を回避するためにウソをついたとしか思えません。少なくともこ の判決を受けて、朝日新聞は改めて見解を出すべきだと強く思います。

櫻井 朝日新聞は慰安婦報道によって、国内外にどれほどの影響を与えて きたかという自覚と反省があまりにもない彼らがしたことは日本国に対す る、日本人に対する裏切りであり、ジャーナリズムへの信頼性を大きく損 ねました。

西岡 今回、自分たちの罪を再び反省する契機となる判決が出たわけじゃ ないですか。その判決を報じる記事でも「捏造」をしているのだから呆れ てしまいます。

櫻井 常に自分にも言い聞かせていることですが、ジャーナリズムというも のは完璧ではないと私は思っています。人間が完璧ではないように、 ジャーナリズムも人間のなせる業ですから残念ながら間違いもあるでしょ う。大事なのは過ちが生じた時の姿勢です。自ら検証して反省すること で、メディアは一歩先に進み、深めることもできる。けれど朝日は自身の 間違いを認めようとしない。そういう態度では、未来永劫同じことを繰り 返すと思います。
      

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