もぐらもちの写真散歩

写真がメインの散歩日記です。古い写真も紹介します。

250116 またまた、机の前で、段々目が覚めてきた。

2025年01月16日 15時44分01秒 | レンズ etc

★目の前がと言うよりも、この椅子に座って6時間。段々と意識がしっかりしてきた。と言う意味で目が覚めてきた。覚醒の時ほどでない。

・友達からメールをもらい。このブログの文が可笑しいと言う。そこで、1月13日(月)の文を読み直した。思い当たることがある。

・心に浮かんだことを全て書けていないのだ。途中で別なことを考え出すとき、前の文で書くべき事、言葉を書き出していない。読み直して、自分で不測を継ぎ足さないと、意味が不測だ。例えば、紙のマンガのナウシカの全集(連続で七冊だったかな?)教室に置くために、三度買い直した。小学校だから、教室にマンガ?あまり置いてないけど。絵本の方が多かった。少しだけど、40冊弱。折り紙、紙細工、遊び詩、遊びの本。ボロボロになるまで、子供に貸した。そう言えば、昔遊びのための民芸風?けん玉?お手玉、ダルマ落としも貸出した。雨の日のお昼休みは、遊びの広場。みんなすり切れるまで遊んだ。ビー玉、メンコはイマイチかな?流行ったのは、あやとりと折り紙。僕の方が夢中になるので、見せる必要があるので、ドライブインの机でよく練習をした。でも、その当時は、僕よりもあやとりの上手い男の先生が何人も居た。みんな遊び上手だが、教室で、流行らせた、と言う話を聞かない。それでも、市内には、子供に集団遊びをさせる事の出来る、教師集団も少し居た。その当時から、遊べない子供が多いことに驚いた。ボール遊び、ゴム跳びが少し。これでは、友達が作れないはずだ。虐めが悪質化する原因かな?今の子供はもっと遊べない。本の虫、文字に飢えていた僕でも、友達も居た。日が暮れるまで友達と遊んだ。電子ゲームで遊ぶ子供は可哀想としか思えない。何も無いと遊べないのだ。始めて担任をしたとき、学級経営に苦しんだ。其れで折り紙を始めたのだ。次第に流行出して驚いた。教室から紙のゴミがなくなったのだ。少しでも紙のゴミがあると拾って、持ち主がいないかを聞き、降り紙を始める。同じ紙を穴が開くほど折る子供も居た。学年が終わるころ、親たちがその姿に喜び、大量に子供に折り紙を与えた。その学年を持ち上がったときに、急に教室に紙ゴミが増えた。不足するのも悪くも無い、そして、少し(時間も)豊かになると、子供達の工夫の世界が拡がった。認め合う?一緒に楽しむ?乱暴?粗暴?其れだけの子供達が、遊べる、作れるだけで豊かになる。電子ゲームで其れがあるか?ケータイを貰って始めることは、おしゃべり。友達と遊べる、話が出来るだけで、世界が拡がる。教員の仕事の話しでも。その為には、教師同士が話し合い(会議でなく)、議論をして何かが拡がる。

・でも、失敗もあった。先輩が地質が得意というので、相模原台地は何故出来たかと聞いてしまった。土曜日(出勤のある時代)の午後だった。ドイツ語と英語交じりで、三時間もの講義を頂戴した。大学の地理の授業を思い出した。ほぼ同じだった。始めは十人近かった机の周りに、最後は僕と話し手だけだった。僕は、質問者として逃げられなかったのだ。小学校の先生なのに、大学の教授クラスだった。未だに夢にうなされる。相手の先生は、とても満足して帰宅していった。あんなに専門に近い話しを三時間も聞いてくれる人が居なかったのだろうな。この凄い人の逸話は、未だ沢山ある。何れ、チャンスがあれば、書き残したい。大学教授と小学校の現場の両方で授業の出来る人は存在する。何人か知っている。相模原市だけでだ。今は知らないけど。世の中は恐ろしいと思い知ったね。

コメント
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