初詣に妻女山松代招魂社へ。麓の會津比賣神社には参拝者がたくさん訪れるのですが、赤坂山にある妻女山松代招魂社にはほとんど訪れる人がいません。それでも昨年は二年参りに息子達と訪れたところ、何組かの参拝者がいたのですが、今年は車の轍もなく足跡もなく、だれもいませんでした。こんなところでも明治は忘れ去られようとしています。
下の12月21日の記事でも書いたように、明治の暁を見ることなく散った松代藩の男達52人が祀られています。同様にそれ以上の兵や民間人が会津などで犠牲になっています。その上に明治の暁が開けたわけです。さらには、日清日露戦争以降の戦没者も慰霊されているのですが、基本的に軍人のみで民間人は慰霊されていません。この辺りは靖国神社もそうですが、民間人も追悼の対象としていかなければ、自国の戦争を正当化するだけのものと言われても仕方がないわけで、藩や国境を越えた友好と和解の道は永遠に閉ざされたままになるでしょう。
思想や宗教とは無関係の戦没者慰霊を考えていかなければ、ならない時期に来ているのでしょう。寂れていく妻女山松代招魂社は、そういう意味では極めて自然な成り行きなのかもしれません。世界平和が訪れることを祈り、再び子供達を戦地へ送ることなどないように、努めていかなければと思うのです。
「白銀の 梢に消ゆる 志士の声」
「寥亮(りょうりょう)と 積む雪に沁む 鵯(とり)の声」 林風
◆妻女山がいかに政治的軍事的に利用されてきたかを知るには、「妻女山:有名人訪問年表」をご覧ください。明治以降、実に多くの皇室関係者、軍関係者(「坂の上の雲」にも登場する伊藤博文、東郷平八郎や、後には後藤新平なども)、戦後は自衛隊などが訪れています。桜と夕日の名所で、春は近隣の小学生の遠足の目的地でもあります。
「新年は、天皇杯見てラディツキー行進曲かな」字余り