2014年(平成26年)11月22日22時8分頃、長野県北部、北安曇郡白馬村を震源として発生したマグニチュード6.7(暫定値)の神城断層地震は、北信に甚大な被害を齎(もたら)しましたが、長野市中条(旧中条村)にある虫倉山(1378.0m)も、大きな被害が出ました。山頂の東側の4割が崩壊してしまったのです。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林でも紹介しているので、その後の状況を調べるべく登りました。県外からもたくさん登山者が訪れる人気の里山です。
大田の水車小屋(左)。以前はこの前の駐車スペースに駐車して、さるすべりコースへ向かったのですが、現在は登山禁止なので、不動滝へ向かいます。そこから数百メートル左へ行った所にあるハイカーの案内所「虫倉山道しるべ」。綺麗なトイレもあります。そこに貼りだされていた虫倉山登山コース案内(中)。現状で登れるコースは、不動滝コース、不動滝コースに合流する柏鉢城跡コース、小虫倉までの小虫倉コースのみです。さるすべりコース、岩井堂コース、小虫倉から虫倉山へは、いずれも行けません。
そんなわけで、今回は不動滝手前の駐車場まで車で上がりました(右)。数台駐車可ですが、満車の時はさらに不動滝前を通って少し進むとトイレもある駐車場があり、林道を少し南へ辿るとすぐに円山公園の広い駐車スペースがあります。
不動滝すぐ向こうの登山口から滝上の寒沢を登っていきます。振り返ると聖山と左奥に美ヶ原(左)。樹皮の模様が美しいケヤキ(欅)の大木(中)。こういうケヤキは、板材にすると美しい杢(もく)が現れるため、高度経済成長期に乱伐されました。空平の四阿は倒壊していました(右)。風が吹くと落葉松の黄葉がチリチリと降ってきます。拙書にも書いていますが、ここは昔大きなブナ林だったそうです。
その空平からの北アルプス。残念ながら稜線は雲に覆われていました。眼下に見えるのは小川村。以前、仲間と虫倉山に登った帰りに「星と緑のロマン館」の風呂に入り、北アルプスに沈む夕日を愛でたことがあります。その模様は下記のリンクで。その向こうの里山の規則的に斜めの尾根が美しいリズムを刻んでいます。
脚を痛めていたので、私的にはかなりゆっくりと登ったのですが、1時間15分で山頂に着きました(左)。正面が山頂なのですが、これは下山専用で左に登りルートができていました。右側が崩壊しているので賢明な措置だと思います。崩壊した山頂(中)。右側(東側)が崩壊した部分。大理石の標柱も望遠鏡もありません。4割が崩壊したそうですが、残りの部分にも写真の様にクラック(割れ目)が入っています。先に登られたご夫婦も、以前との変わり様に驚かれていました(右)。常ならず。地球も生き物だと思わずにはいられません。帰路に、友人に今のうちに登っておいた方がいいよと言われて来た青年と遭い、帰りに彼の車まで送って行きましたが、あの山頂を見てどう思い友人に告げたでしょうか。
読者からの現状の問い合わせに正確に応えるために崩落箇所を見てみましたが、オーバーハングしているので、クラックが入っているのでしょう。崩壊した部分はマムシの巣でしたが、大量のマムシも一緒に落ちたのでしょう。崖下には下りられる窪地もあったのですが、全部崩落しました(中)。茶臼山から見た崩落部分(右)。頂上とさるすべりコースの東側が崩れているのがはっきり分かります。思っていたよりも非常に厳しい状況で、ショックを受けました。霊山と尊崇する地元の方々の心の痛みは計り知れないものがあります。恐らくクラックした先は、大地震でなくても崩壊する可能性があり、非常に危険な状態といえるでしょう。
後から登ってきた女性は、一ヶ月前に始めて登ったそうで、気に入ってまた来た様ですが、以前の山頂の事を話すと、非常に驚いていました。もともと岩が積み上がった様な山なので、積み木崩しの様な崩壊は運命なのかもしれません。善光寺地震でも大規模な崩落を起こしていますし。しかし、残念です。さるすべりコースは、当分の間登山禁止とありますが、再開は可能なのでしょうか。拙書でも紹介していますが、非常に魅力的なコースだったので、復旧を願います。
山頂からの素晴らしい眺めは何も変わりません。槍ヶ岳が綺麗に見えました(左)。こちらは浅間山(中)。思いの外激しい噴煙をあげていました。手前に皆神山、右に象山、妻女山、一重山の山脈のシルエット。手前の丸い山は茶臼山。北アルプスは雲に隠れていましたが、待っていると鹿島槍ヶ岳が姿を現しました(右)。
鹿島槍ヶ岳の雄姿。右に日本5番目、信州では初の氷河かと調査がされた、平家の落人が隠れ住んだといわれる「かくね里」の大きな谷が見えます。
北東を見ると長野市民の山、飯縄山。麓に飯綱高原が広がります。山頂北側にあったという山名の元となったという藍藻類の天狗の麦飯は絶滅しましたが、相変わらず県内外のハイカーから人気の山です。ただ、山頂付近は政府の調査でも放射能汚染がやや高めなので要注意です。
虫倉山の山頂に飛来したキアゲハ。日向ぼっこをしていました(左)。山頂近くにはイワカガミの群生があちこちに(中)。山頂の少し手前に新しくできた「いっぷく虫倉」という展望台(右)。狭くなった山頂がいっぱいなら、ここでお昼もいいでしょう。
紅葉はピークを過ぎていましが、それでもハウチワカエデなどが艶やかに色付いて魅せてくれました。下山後、不動滝でハコネサンショウウオを探しましたが見られませんでした。拙書では、その貴重な写真を載せていますが、これを撮影するのに3回通いました。いやむしろ3回目で撮影出来たのが幸運だったのかもしれません。
下山後は、皆さんすぐに帰られるのですが、実は不動滝すぐ先の円山公園は紅葉が非常に美しいのです。紅葉の季節なら是非立ち寄ることをお勧めします。滝から歩いても2,3分ですから。
帰路の道すがらで撮影した虫倉山。これは西側の生々しい崩壊跡。拙書では、虫倉山の山名や歴史についても記していますが、虫倉山に関しては、『むしくら』という非常に優れた研究書があり(県立歴史館や図書館で)、私の文章の中にも、村史と共にいくつか参考にさせていただいています。松代藩が尊崇していた山としても知られています。
◉フォトルポ 虫倉山トレッキング 2010.11.7 錦秋の虫倉山
◉フォトルポ 虫倉山トレッキング 2010.8.13 真夏の虫倉山
★いずれもYoutubeにハイビジョンのスライドショーをアップしています。是非ご覧ください。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。もちろん虫倉山も載っています。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
■『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。順次アップしていきます。ブックマークの更新をお願いします。
大田の水車小屋(左)。以前はこの前の駐車スペースに駐車して、さるすべりコースへ向かったのですが、現在は登山禁止なので、不動滝へ向かいます。そこから数百メートル左へ行った所にあるハイカーの案内所「虫倉山道しるべ」。綺麗なトイレもあります。そこに貼りだされていた虫倉山登山コース案内(中)。現状で登れるコースは、不動滝コース、不動滝コースに合流する柏鉢城跡コース、小虫倉までの小虫倉コースのみです。さるすべりコース、岩井堂コース、小虫倉から虫倉山へは、いずれも行けません。
そんなわけで、今回は不動滝手前の駐車場まで車で上がりました(右)。数台駐車可ですが、満車の時はさらに不動滝前を通って少し進むとトイレもある駐車場があり、林道を少し南へ辿るとすぐに円山公園の広い駐車スペースがあります。
不動滝すぐ向こうの登山口から滝上の寒沢を登っていきます。振り返ると聖山と左奥に美ヶ原(左)。樹皮の模様が美しいケヤキ(欅)の大木(中)。こういうケヤキは、板材にすると美しい杢(もく)が現れるため、高度経済成長期に乱伐されました。空平の四阿は倒壊していました(右)。風が吹くと落葉松の黄葉がチリチリと降ってきます。拙書にも書いていますが、ここは昔大きなブナ林だったそうです。
その空平からの北アルプス。残念ながら稜線は雲に覆われていました。眼下に見えるのは小川村。以前、仲間と虫倉山に登った帰りに「星と緑のロマン館」の風呂に入り、北アルプスに沈む夕日を愛でたことがあります。その模様は下記のリンクで。その向こうの里山の規則的に斜めの尾根が美しいリズムを刻んでいます。
脚を痛めていたので、私的にはかなりゆっくりと登ったのですが、1時間15分で山頂に着きました(左)。正面が山頂なのですが、これは下山専用で左に登りルートができていました。右側が崩壊しているので賢明な措置だと思います。崩壊した山頂(中)。右側(東側)が崩壊した部分。大理石の標柱も望遠鏡もありません。4割が崩壊したそうですが、残りの部分にも写真の様にクラック(割れ目)が入っています。先に登られたご夫婦も、以前との変わり様に驚かれていました(右)。常ならず。地球も生き物だと思わずにはいられません。帰路に、友人に今のうちに登っておいた方がいいよと言われて来た青年と遭い、帰りに彼の車まで送って行きましたが、あの山頂を見てどう思い友人に告げたでしょうか。
読者からの現状の問い合わせに正確に応えるために崩落箇所を見てみましたが、オーバーハングしているので、クラックが入っているのでしょう。崩壊した部分はマムシの巣でしたが、大量のマムシも一緒に落ちたのでしょう。崖下には下りられる窪地もあったのですが、全部崩落しました(中)。茶臼山から見た崩落部分(右)。頂上とさるすべりコースの東側が崩れているのがはっきり分かります。思っていたよりも非常に厳しい状況で、ショックを受けました。霊山と尊崇する地元の方々の心の痛みは計り知れないものがあります。恐らくクラックした先は、大地震でなくても崩壊する可能性があり、非常に危険な状態といえるでしょう。
後から登ってきた女性は、一ヶ月前に始めて登ったそうで、気に入ってまた来た様ですが、以前の山頂の事を話すと、非常に驚いていました。もともと岩が積み上がった様な山なので、積み木崩しの様な崩壊は運命なのかもしれません。善光寺地震でも大規模な崩落を起こしていますし。しかし、残念です。さるすべりコースは、当分の間登山禁止とありますが、再開は可能なのでしょうか。拙書でも紹介していますが、非常に魅力的なコースだったので、復旧を願います。
山頂からの素晴らしい眺めは何も変わりません。槍ヶ岳が綺麗に見えました(左)。こちらは浅間山(中)。思いの外激しい噴煙をあげていました。手前に皆神山、右に象山、妻女山、一重山の山脈のシルエット。手前の丸い山は茶臼山。北アルプスは雲に隠れていましたが、待っていると鹿島槍ヶ岳が姿を現しました(右)。
鹿島槍ヶ岳の雄姿。右に日本5番目、信州では初の氷河かと調査がされた、平家の落人が隠れ住んだといわれる「かくね里」の大きな谷が見えます。
北東を見ると長野市民の山、飯縄山。麓に飯綱高原が広がります。山頂北側にあったという山名の元となったという藍藻類の天狗の麦飯は絶滅しましたが、相変わらず県内外のハイカーから人気の山です。ただ、山頂付近は政府の調査でも放射能汚染がやや高めなので要注意です。
虫倉山の山頂に飛来したキアゲハ。日向ぼっこをしていました(左)。山頂近くにはイワカガミの群生があちこちに(中)。山頂の少し手前に新しくできた「いっぷく虫倉」という展望台(右)。狭くなった山頂がいっぱいなら、ここでお昼もいいでしょう。
紅葉はピークを過ぎていましが、それでもハウチワカエデなどが艶やかに色付いて魅せてくれました。下山後、不動滝でハコネサンショウウオを探しましたが見られませんでした。拙書では、その貴重な写真を載せていますが、これを撮影するのに3回通いました。いやむしろ3回目で撮影出来たのが幸運だったのかもしれません。
下山後は、皆さんすぐに帰られるのですが、実は不動滝すぐ先の円山公園は紅葉が非常に美しいのです。紅葉の季節なら是非立ち寄ることをお勧めします。滝から歩いても2,3分ですから。
帰路の道すがらで撮影した虫倉山。これは西側の生々しい崩壊跡。拙書では、虫倉山の山名や歴史についても記していますが、虫倉山に関しては、『むしくら』という非常に優れた研究書があり(県立歴史館や図書館で)、私の文章の中にも、村史と共にいくつか参考にさせていただいています。松代藩が尊崇していた山としても知られています。
◉フォトルポ 虫倉山トレッキング 2010.11.7 錦秋の虫倉山
◉フォトルポ 虫倉山トレッキング 2010.8.13 真夏の虫倉山
★いずれもYoutubeにハイビジョンのスライドショーをアップしています。是非ご覧ください。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。もちろん虫倉山も載っています。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。順次アップしていきます。ブックマークの更新をお願いします。