黄昏のきのこ狩り第三弾。ホームセンターへの買い物帰りに急遽きのこ狩りへ。こんなことができるのも信州ならではです。きのこの季節も終盤に近づいてきました。林道は枯葉が積もり、これが乾燥すると滑って非常に危険です。ブレーキもききません。湿った北面はなんとか登れるものの、乾燥した尾根筋はこれからの季節は危険です。というわけで長坂峠に駐車。
目当てのシロに出かけました。陽が落ち始め、木楢や櫟(くぬぎ)、針桐、山香ばし、山漆の紅葉が夕日に染まっています。ありません。雨が降ったというのに紫占地はまったく出ていません。シロはきれいに菌糸の膜を張っているのにきのこになっていません。
今日は空振りかなと思いつつ、前回一本だけ出ていた昔父母がよく採ったが、今は藪で全く出ないだろうという場所へ行ってみることにしました。その森の入口はバラのある酷い藪に覆われていて人を寄せ付けません。そこで迂回することにしました。とても人が入っていかないような場所です。ようやく辿り着くと、すぐに紫占地の菌輪を発見。10本以上ありました。
さらに倒木や山藤のつるで塞がれた森の奥へ。前回に剥茸や平茸を採ったところです。今回は栗茸をゲット。林道からはかなり離れているので人が入った形跡は全く見られません。ニホンカモシカの糞や猪が掘り起こした跡があるだけです。
鞍骨城へ登ってきたというご夫婦と出会いました。トレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS】の鞍骨城をご覧いただくと分かるのですが、山城の本郭への50mの登りはなかなか厳しいものがあるかもしれません。三つの深い掘切も難儀したとおっしゃっていました。帰りは斎場山へ登っていくとのことでした。
斎場山への分岐、長坂峠(東風越)には、先日山で偶然に出会った、この辺りの標識を作って立てているMさんが、新たに斎場山の標識を作って立ててくれました。妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をご覧になって、斎場山へ登られたかたから、長坂峠の分岐に標識がないので間違って天城山方面へ行ってしまったという話を聞いたので、Mさんにできたら標識を作ってくださいとお願いしたのを早速設置してくださったのです。これで歴史マニアも歴女も迷うことはないでしょう。
初霜もおりて川中島の霧も発生するようになりました。けれども、第四次川中島合戦のときのような5m先も見えないような濃霧はなかなか出なくなりました。濃霧が出る前夜は快晴で冷え込みます。まず千曲川の上を真綿のような霧が覆い、それが溢れて地上を覆い、ついには山も覆ってしまいます。5m先さえ見えなくなります。ホワイトアウトしたらフォグランプさえあまり役に立たないほどです。
北信濃の里山は、きのこの季節も終わり冬に向かって一目散に走り始めました。帰りの斎場山では夕日が三峯山の北に落ちていくところで、最後の輝きを放っているところでした。
★妻女山(斎場山)について研究した私の特集ページ「「妻女山の真実」妻女山の位置と名称について」をぜひご覧ください。武田別働隊の経路図、きつつき戦法の検証、上杉謙信斎場山布陣図などもご覧いただけます。