初雪は深夜にうっすらと白く里山を染めましたが、朝にはもうすっかり溶けていました。けれどもは前日は午後から大荒れの天気で、妻女山のわが家の山へ採ったきのこの石突きや老菌の傘などをまきに行ったのですが、途中から雨になりやがて強風の霰(あられ)になりました。祝日の今日は、朝から晴れましたが気温は5度。寒風が身に染みます。象山と皆神山の向こうに見える保基谷岳は真っ白。奇妙山や虫倉山も初冠雪でした。もちろん戸隠連峰や北アルプスは雪模様。暖冬ですが、初雪は早めに訪れました。
寒風も木々が遮ってくれるので、森に入ると寒さも気になりません。松代藩の川中島合戦の記述に登場する東風越は現在の長坂峠より南東へ30mほどずれています。現在は新しい林道により分断されていますが、こ部分的に残っているので、それを辿ってみました。江戸時代には洪水などで笹崎が通行不能の時などは、参勤交代も通ったという道です。山には、旧街道、山道、作業道(行き止まりも多い)、獣道とあり、見慣れれば区別はつきます。動物が人の道を使うことも少なくありません。その逆もままあります。
松代藩の古い街道は、北国街道東脇往還の迂回路で、清野から妻女山(当時は赤坂)に登り、東風越から斎場山の南面を巻いて御陵願平、笹崎から土口へ下ります。今回は上杉謙信が本陣としたと里俗伝にある斎場山の頂(円墳)の上から白い戸隠連峰を眺め、信玄全軍が海津城に入ってから陣城を築いたと、これも里俗伝にある陣場平へ。100m四方もあるような広い平地が広がっているのですが、現在は落葉松林や藪で全貌を見ることはできません。倒木も多く、夏場は人を寄せ付けない場所です。今日はそこを探索しました。
こんな日は森の動物たちも出歩かないでしょうから、熊鈴はつけません。何重にもからまる山藤のつるをくぐり、山椒の刺をよけ、葛の枯れたつるをたたき落としながら進みます。360度藪に囲まれた空間で剥茸と栗茸を採取。何度か訪れているので脱出できますが、知らないと完全に迷うでしょう。そんな空間です。落ち葉を踏みしめながら歩いていると、この同じ場所にもしかしたら数百年前、大勢の武士達が戦をするために集まっていたかもしれないと想像し、思わず歩みを止めて感慨に耽ってしまいます。
そういえば前日、妻女山展望台の立ち枯れ桜の枝が折れそうなので見に行くと、氷雨の中をわざわざ群馬から歴女二人が訪れていました。枝が強風で折れるかもしれないので注意をすると共に、せっかくこんな雨の中を来てくれたのだからと、斎場山や妻女山と赤坂山のこと、陣場平の説明、江戸時代の軍記物語にある川中島合戦の上杉武田両軍の布陣の説明などをしました。実際に現場で説明を受けると、想像力もグッとリアルに浮かび上がるのではないでしょうか。きっと喜んでもらえたと思います。
このブログや本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧になられた方で、妻女山を訪れてみようという方は、天気がよかったらぜひ斎場山まで足を伸ばしてください。戦国の歴史浪漫がより膨らむはずです。そして、戦国時代だけではなく、この地が古代科野の国まで遡る歴史ある地だということも知っていただきたいのです。
★斎場山は、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】にいくつもアップしてあります。信玄の茶臼山トレッキングルポもこちらです。
●妻女山駐車場の奥、斎場山・天城山・鞍骨城跡・倉科へのあんずの里ハイキングコースの林道入口に「杖」を置きました。返却不要です。ハイキングにお使いください。