紺と淡いグレーの糸で、編んでみました。パイナップル編みの星型のドイリー。お気に入りです。
グレーの糸は、見ようによると、パール色に見えるので、かなり好きです。見るだけで楽しい♪ レース編みはいいですね。
細いレース糸と8号のレース針で、ランナーを編み始めました。ランナーというのは、細長いテーブルセンターみたいなものらしいです。繊細なレース糸を、細いけれど鋼の丈夫なかぎ針で編んでいくのは、気持がいいです。8号レース針は、先のかぎのとこが、蚤みたいに小さくて、よく見えないのに、ちゃんとまがっていて、きっちり糸をひっかけてくれるんですよ。それですいすい編める。きれいなレース編みがどんどんできていく。
小さくて細くて、頼りないのに、強くて、ちゃんと自分ができていて、しっかり仕事をしてくれる。こんなのがわたしは好きです。
毎日閉じこもって、レースばかり編んでいるので、夫が心配したのか、ちょっと運動したほうがいいよと言いました。ひさしぶりに、一緒に仕事をしてみるかとも。でも、とてもできないと思って、激しく首をふってしまいました。今はとても、外に出て仕事をすることなどできない。
嘘が見えすぎてしまうからです。それがわたしは、苦しすぎるのです。
たくさんの人が、嘘で生きている。ぜんぜん違う人間の仮面をかぶって、生きている。ほんとうの自分がいやだから、別の人間の顔をつくり、ずっと嘘をついて生きているのです。それでなければ、生きていけないような世界にすらなっている。
たとえば、テレビで、野球を応援している人々の映像が流れると、大半の人が、野球がしんから好きで応援しているのではないということが、わかるのです。多くの人が、そういうものだからやっているよという顔で、やっている。ほんとうはそんなにいいと思ってないんだけれど、こういうものになったから、やっているんだよ、という感じで。
たくさんの人は、本当の自分を生きていない。だから、そんなに好きでもない野球の応援を、好きなふりしてやっている。ぜんぜん楽しそうじゃない。そんなことが見えてしまうから。外には出たくないのです。
この世界は、不思議なお芝居でできている。みんなが、好きでもないことを、お芝居でやっている。誰かが、誰かを、演じている。見も知らぬ他人が、ずうっと、その人を演じている。それが、どんなに立派で、すてきで、いい人でも、ほんとうの自分ではないから、いつも苦しい。やりたくもないことをやらねばならないから。本当にやりたいこと別にあるのに、それができないから。
苦しいのを、内部に押しつぶして、永遠にいないものにしたものといっしょに、消し潰して、そして、嘘で作った人間を生きていく。そんなものになってしまった人が、たくさんいすぎる。
嘘の自分を生きている人は、一目でわかります。町を歩いているときでも、えらそうに胸を張って、どうどうと歩いている。それだけで、壊れかけた自己のきつい悲鳴を押し隠しているのがわかる。彼は、自分を必要以上に強く、大きく見せて、人に恐怖感を与えようとします。それは、たくさんの人に、自分のいうことを聞けと言っているのです。彼は自分以外の人間をたくさん支配したい。それで強くなりたい。それですべてに勝ちたい。それは、自分が、ないから。そのうつろを、ほかの人間の存在を奪うことで、埋めようとする。
自分が、ないから。それがとんでもなく、痛いから。苦しいから。すべてが憎くなる。
世界を壊し続けているのは、嘘で傷つき果てた、ひよこのように弱い心なのです。それが、巨人のような男の仮面をかぶり、どうどうと外を偉そうに歩いている。この世界は。
だから、今日もわたしは、ちいさなひきこもり部屋で、静かにレースを編みます。
まだ、外には、出たくないのです。