世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

あのこ

2008-10-03 21:29:33 | 詩集・貝の琴

あのこが すきだったんだ
はなやの かんばんむすめ
がっこうさぼって
のらいぬにけちつけてたときに
みかけたんだ

めがねかけててね
いろじろのひたいに
あかっぽい髪がゆれていた
きれいな声で
お客さんにありがとうって
いってたの

おれ
いっぺんにまいったの

すきだっていえなくってさ
ばかになっちゃえって
いやなこともやれなくってさ
ほれでどうしても
あのこといっしょになりたくて
おれ

やったの

いたいことはみんな
そのためにやったのさ

えれえことはみんな
そのためにやったのさ
ばかだってのはねえ
いつしかそんなこと
どうでもよくなるほど
やったことがえれえことんなりすぎて
ばかにはまりすぎて
いやになるくらいおれ
えらいもんになっちゃったの
あほにやりすぎたの

はなやのあのこに
すきだっていえなくておれ
せんそうをやったんだよ
みんなころしたんだよ
ぜんぶやっちまってさ
きがついたら
みんなやけのはらで
はなやもなくなっちまって
あのこはどこにいったのか
わからない

おれは
ばかだってなくこともできなくってさ
へいきのへいざで
みんなばかだっていうのさ
ほれでずいぶんと
ほかのおんなをなかせたの
ばかばっかりだ おんなはってさ
あほはみんないたいね

いたいね
ほしかったのは あのこなんだよ
はなやで はたらいてた
あのこなんだよ
おれがすきなのは あのこなんだよ
どこにいったんだ

どこにいったんだ
おれの
ほんとうのおんな
おれのおんな
おれの

おれのあのこ


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ビーストは、おっさんやめろという

2008-10-03 12:01:01 | フェアリィウィスパー

なんだかんだて、まあだかくことあるのうっていうねえ。ほんまにねえ、おれらはねえ、あんだかんだって、つうらくてつうらくて、なんでもこいつにいっちゃのさあ。ほんでね、こいつがつらがって、はんぶんおもしろがって、かきまくるのよおお。おれらねえ、あほはねえ、じぶんでじぶんのくびしめてるよ。あほにやってやろうとして、なんだかなあ、なんでこうなるのうっていうのよ。あほねっていわれるんだけどさあ。おもしろいんでまたやっちゃうよ。

あんたねええ、おんなのあほばっかりいうとねえ、どうしてもおとこのあほんこともいいたくなるねえ。いやんなるのはねえ、あほにねえ、おとこねえ、ごっついことやんのよお。いやんなるのよお。あ~あってこと、いっつも、おれらにたのみにくんのよおお。

あんね、おとこのきもちはね、ようするに、でっけえおとこになりてえってことなのよ。あほにすげえのになりてえの。ほんでね、わけえときは、せえしゅんを謳歌して、えれえいい女とやりまくって、でけえことになったら、あほみたいにえれえことやって、おっそろしいええもんになって、ばっかがおれのために、えれえいいことなんでもやるよっていう、ばかみてえな、おっそろしいばけもんになりてえのよ。つらいねえ、おっとこまえだねえ、すきよおおって、さ、いわれていわれていわれまくって、ええめみて、おんなはみんなおれのもん、あほにええもんはみんなおれのもん、あっぱれに、しょうぶはみんなおれのかち、てなもんさ。これでいってんのよお。あほはあ。いやんなってくるよ、おれは。

ほんでねえ、ほれやるまえにさあ、おれんとこにたのみにくんのさ、そいつが。えれえいい男前の顔の絵を見せてさ、こんどはこういうええやつにしてくれよって、いうんだよ。ほおおおっていうんだ、おれは。ええけんどさ、ごっついことんなってもおれ、しらねえよおお。あほにすごいねえ、これ。どのつらさげて、このいろおとこやるんだよ。おまえはああああ。ごっついんだよこれえ。

あっほみたいにつれえのよ。おまえねえ、いやんなるよこれ。いたいよこれ。つらいよこれ。ぜんぶやるけどさあ。まんであほだよ。ごっついよ。つらいよ。なんでって、どうすりゃこうなるのさ。

あんたね、やめなって、いわれるけどさ。ほんまはねえ、これいうと、そうとうつらいんだけどさ。なんでいうかっていうとさ、あんまりだからなんだよ。おとこがさ、それやりすぎて、ほんまにばかんなったの。ほれでさ、ぜんぶが、もうばらしちゃえっていうんだよ。いたいねえ。

あんねえ、てっとりばやくいうと、あほにつらいおとこは、ずっとこれでやってんの。ええおとことかね、ふつうにつらいおとこってのはね、これでやんねえよ。ばかだからさ。おとこってのはさ、ぶすだとかあほだとかおとこまえだとか、あんまりかんけえねえからさ。とっちゃんでもちびでもおばけでも、おとこはおとこでやるもんだからさ。でもねえ、つれえときにつれえことをやりすぎたおとこは、おとこがあんまりにできねえもんだから、おんなになんとかしてもらおうとして、すんげえいろおとこにばけさせろっていうんだよ。

おんなねえ、こういうおとこにひっかかると、ひでえめにあうんだよ。ほんでねえ、ほれがもう、つらいことんなりすぎてんの。だからさ、おしえるの。おんなね、あほみたいに、つれえおとこまえはね、ほとんどにせもんだから、きをつけな。えれえうつくしいいいおとこは、いるけどね、そういうやつはね、おんなにつれえことはしねえからさ。いてえからさ。

あほはもう、ばれるよ。かみさまが、しんから、おこってるから。ほんでね、おとこまえの顔、ばっくんとわれて、ほんまの顔がしみ出てくるから。それね、ぜんぶだから。いやなことはやめろよ。おっさん。つれえことんなりすぎるぜ。

あほっていうのはね、ずいぶんだけどね、おとこね、こればっかりってのが、ごっついいるんだよ。ほれがねえ、ずいぶんいたいことして、ええことんなって、ぼおんて、つらいのよ。あほにええもんになってみたら、とたんにばれて、だめんなるからさあ。ほんでね、おんなにみんなにげられるのさ。ほんでね、ごっついつらいのは、ぜんぶ、あほになるんだよ。ぜんぶ、おんなに、やってもらわんと、なんもないんだよ。そいつ。ばっかにばかりしてるけどね、おんながいねえと、ごっついつらいの。おとこじゃねえからさ。おとこができねえからさ。おんながね、あんたいいねえっていって、いいことしてくれねえと、おとこにならねえのよ。ほんでね、つらいことばっかりしてんの。おんなばかにして、おんなにやってもらおうとばっかりしてんのさ。ほんでね、ひでえことしすぎて、とんでもないことになって、ついに、ばかになってんの。

あいた、ていってるよ。おとこが。ぜんぶばらされるからあ。ほんでね、もういてえこと、できねえからあ。なんでって、おんながみんな、いやっていうから。ほんでね、つらいことしようとすると、ほんだけで、ぜんぶだめんなるから。おれらねえ、ずいぶんというよ。ほれはねえ、もうねえ、あーほーがー、あかんようになったから、もうやめろってことなのよ。ずいぶんやってやってやりすぎて、とうとう、かみさまがおこったからだよ。

あ、ん、た、ねえ。かみさまは、すっげえ、おとこなんよ。あふれるほど、つれえよ。ぜんぶやれるんだよお。ひっでえことやったやつ、ばっくん、て、やるんだよ。ほれも、秒殺だよ。秒で、なんもかんもばかになるんだよ。あほだよ。やめろ。あいてにしてるのはねえ、そういうやつなんだよ。

おとこが、おこってるんだよおお。ばかみてえにつれえ、すっげえことできる、ぞおっとするおとこが、おまえらにおこってんの。ばかみてえに、かつらかぶって、おんなにかんぜんにつらいことすんじゃねえよ。あほはね、みんなしってっから。ばかはやあめえろおよお。
いたいよおお。


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これなんでしょう

2008-10-03 08:00:08 | 有為のしらべ

シュールな画像ですが、さてこれはなんでしょう? 実は、先日まで、パネルシアターの原画を制作していたのですが、その過程でできた、消しゴムのかすの塊です。いやあ、いっぱい描いたんだな。描く前には真新しかった消しゴムが、描き終える頃には半分になっていました。

机の上でまとめてみると、すごくいっぱいあるので捨てられなくなってしまって、今もまだあります。なんだか、こういうのって、ありますね。どんなものでも、立派な感じになると、いいものに見えるっていう。たとえば、子供の耳掃除で出てきた、大物の耳アカなんぞ、しばらく捨てられなくて、つい、「こんな大きなのでてきたよ!」なんて、ほかの人に見せてしまったり。

なんでも、いい感じにすると、おもしろいなってことです。消しゴムのかすくんは、しばらくの間、わたしの机の上でオブジェになってくれそうですよ。

これが、楽しむこつってこと。おもしろいなって思うこと。馬鹿に、しないこと。それで何かしてみるってこと。

たとえばね、なんでもいいんですが、長いことやってきた仕事が、まるごと、ばかみたいなことになってしまって、失敗したってことがあるとするでしょう。がんばってやってきたこと、すべてが、水の泡になって消えてしまったってことあるでしょう。やってもやっても、なんにもならなかったってこと、あるでしょう。

普通の人は、そこで落胆して、人生も自分もすべて捨ててしまって、慰めにもならぬことをして、苦しいだけの残りの人生て感じに生きるのですけど。そんなふうに、自分の人生を捨てると、大変なのは、周りの人ですから、やめましょう。自分の人生を、捨てないように、自分で工夫しましょう。それで、楽しんでみましょう。

消しゴムのかすは、もう消しゴムには戻れない。でも、全部、馬鹿なわけじゃない。消しゴムは、鉛筆で描いたものを消して消して、やってきたことがある。その中で、何かいいものがあるはずだ。使えるものがあるはずだ。それは何だろう。自分は、まるっきり馬鹿なもんじゃないだろう。

そうすると、やっている過程で味わってきた、自分の実感というものが、出てくるのです。そこを、なんとかしてみる。何かをやる、何かをできる、自分というものを、なんとかしてみる。

やれることを今、とにかく考えてみる。家にいるだけじゃだめだ。外に出てみよう。風景の中で、心ひかれるものは何かと考えてみよう。自分というやつは、何が好きなのか。花や虫に心ひかれるか。水の中の魚に心ひかれるか。空に流れる雲が好きか。そういう自分とずっと話をしてみる。

水の中の魚が好きで、ずっと見てしまうなら、それはなぜかと自分に尋ねよう。なぜ魚が好きなのか。それは、水の中を泳いでいるのが、気持よさそうだと感じるからだ。それを見るのが好きなのは、きっと自分が安らぎたいと考えているからだ。なぜ安らぎたいのだろう。それは、全然心が安らいだことがなかったからだ。自分の魂は、ずっときついことを意地になってがんばってきて、とんでもなく疲れているんだ。

そういう風に、自分と話をしてみる。そうすると、いろんなことが、変わってくる。そういうふうに何かをしてみたら、それを馬鹿なことと捨てずに、いいことにしてみるのです。

感じたことで、詩を書いてみよう。絵を描いてみよう。写真を撮ってみよう。雑文を書いてみよう。やりたいと感じることがあったら、まずやってみよう。下手だなとか、馬鹿だなとか考える癖がでてきたら、あっちにいけといって、相手にしないようにする。自分が、自分をしているから、いいんだと、自分に言う。そうやって、自分を、少しずつ、なんとかしていくんだ。

愛してみましょう。自分を。そして、まじめに、やってみましょう。

馬鹿なことをした。いっぱいした。でもそんな自分を、まったく馬鹿なんだっていって、捨ててしまっては、いやなことになるばかり。馬鹿だけど、おれは、こんなおれを、絶対に捨てないよ。なんとかしてみる、で、やってみたら、だんだんと、いいことになっていくのです。そういうことです。

簡単なんですよ。愛すればいいのです。やってみましょう。好きな自分を。その前に、自分と、ゆっくり、話をしてみましょう。

コメント (2)
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妖精のつまびき

2008-10-03 07:09:50 | フェアリィウィスパー

時代の魔、ということばがあります。それは、その時代時代に、人間の心の中に吹き荒れていた、ビーストの呪いの嵐だそうです。

たとえば戦争の時代は、ビーストは大挙して人類の心の中を荒らしまわり、「敵は馬鹿だ」「敵は醜い」「敵が殺そうとしている」とふきこみまくります。人間は心の中のその声を信じ込み、おそろしく馬鹿なことを、何も考えずにやってしまいます。そうして、多くの人間が、まるでロボットのように、ひとつの感情のもとに動かされ、まるごと破滅に向かっていくのです。

なぜかはわからないが、みながそう思っている。自分もそう思う、という感じで、みなが動かされているような時代は、神ではなく、ビーストが人間を操っている時代だと言えます。そこに人類はもう、気づいています。

現代の人が、自分の心の内面を見るとき、ビーストの声を探すことができます。たいした根拠もなく、なんとなくそう思っているが、そう思うと自分が苦しいこと、という考えがあります。それはビーストの声であることが多いのです。

たとえば、たいていの人は、「女性は馬鹿だ」と考えているでしょう。なぜだかわからないが、必要以上にさげすみたい、という考えが、自分の中にあるでしょう。男性も女性も、なぜだかそういう考えが自分の中にあり、そのために常に苦しいと感じているでしょう。なぜなら、女性を馬鹿だということが、苦しいからです。そんなことは、ほんとうの自分は思いたくないからなのです。それなのに、自分が思っているということが、苦しいのです。そしてそこから、「自分がいやだ」という感情に発展します。ビーストは常に、「おまえはいやな人間だ」「まったくバカだ」「生きる値打もない」と、人間の心の中でささやきつづけているのです。そのため、現代の人は、必要以上に謙遜します。まるで自信がなく、自分らしい行動を常に躊躇しています。

この時代、ビーストは奔流のように、人類の心の中で暴れまわったので、人類はそうとうに、自分に自信がなく、行動する勇気が持てず、まったく何もできない、という人が増えています。そして、ほんとうに、何かしなくてはいけないときに、何もできず、大変なことになっているということが、多いのです。みな、自分に自信がないのです。勇気が持てないのです。まるで、自分は馬鹿だと、思っているからです。

しかし、ビーストが化けた人間には、これはあまりあてはまりません。ビーストは、ビーストが化けた人間の心の中には、そういうことは言わないからなのです。その反対に、常に「おまえは美しい」「おまえはできる」とささやいています。それでビーストが化けた人間たちは、大した根拠もないプライドがあり、常に自信たっぷりで、行動します。周りの人がみると、なんて勇気があるんだと思うようなことを、立派にやります。できる人なんだな、という感じで、進んで物事をやるのです。けれども、中身はあまりないので、彼らのする仕事には、かなり失敗が多く、それを嘘で隠しているということが、本当にたくさんあります。

できること以上に、大きな自信を植え付けられているからです。

こうして、ビーストは、常に、ビーストをよいものにしようとしてきたのです。

人間は、以上のことがわかったら、やるべきことを考えましょう。

自分の心を見つめなおし、ビーストの声を発見したら、もういやだと言い返しましょう。そして、常に、自分はできる、自分はいいやつだ、と自分に言いましょう。また、同じようなビーストの声で苦しんでいる人に、「あなたは立派な人だ」「いい人だ」と言いましょう。お互いに、たたえましょう。みな、すばらしいのです。

この時代に生まれた人はみな、ビーストの罵倒で、深く心が傷ついているのです。美しい人には、本当に、あなたは美しいと、言いましょう。立派なこと、よいことをしている人には、本当にありがとう、と言いましょう。お互いに、大変な時代に生まれたことを理解し、助けあいましょう。


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