世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ガンバとカワウソの冒険

2008-12-30 09:27:32 | わたしの本棚

ガンバとカワウソの冒険
斎藤惇夫作 薮内正幸画 岩波書店 1982年

入院中を慰めてくれた本のひとつです。少し前に古書店で見つけて買い求めたものですが、病室で読んでいるうちに、あ、これまえに読んだことがあるわと、粗忽にきづきました。それでも、ほとんど斜め読みに近いけれど、一応最後まで読破しましたよ。新刊の切れそうなページをめくるのもいいけれど、ふちの黄ばんだ古い本をめくるのにも、何だか趣があって、そういうのを楽しんでいました。

いつだったかな、わかいころ、C.S.ルイスだとかJ.R.R.トールキンだとか、ミヒャエル・エンデだとか、ファンタジーの有名どころを次々と図書館で借りて読んでいたときに、確かこれも読んでいた、という記憶がうっすらとあります。入院中半分くらい来たところで、ラストシーンが浮かんできて、さあこのまま読もうかどうかと迷いました。

確かこの作品は、アニメ映画にもなっているんじゃないかと思います。ビデオ屋さんで見かけたことがあるような気がするので。ストーリー仕立ても、どこか漫画チックで、不良少年ぽい話し方をして極度に擬人化されたネズミたちの話と薮内正幸さんのリアルな絵の組み合わせが、いかにもおもしろいという感じでした。

愛、を、だれかのために素直に表現できないネズミたちが、不良少年のように斜めに構えて気取ったスタンスをつくりながら、カワウソたちのために行動する。その姿は愛以外のなにものでもないのに、最後まで、だれもそれを愛とは言わない。言えない。

なぜだろう。なぜ、正直に、愛を、愛と言えないのだろう。ネズミたちはほろびに瀕している(いや現在は実際に絶滅しているらしい)カワウソたちが、仲間を探すのを助けて、いっしょに長い旅をするのですが、その旅をするということを、自らのかっこつけのためだとか、冒険がしたいからとか、ぷいと、横を向いていうだけ。カワウソたちのためにやってあげたいからだとは言わない。でも実際、正直な気持ちは、ほとんどそうのはず。

物語としては、敵役の野犬がどうしてカワウソを狙うのか、そこらへんが説明不足だし、少し不満は残るのですが、最後のドラマチックな演出は、日本人らしいなという感じがしました。

わたしは、斜めに構えてかっこをつけて、愛なんて知らないよ、なんていうのは、もうはやらないような気がします。かっこをつけて、愛に虚勢を張る時代は終わってほしい。

「けっ、おれはやだね」
なんていいながら、かげでいいことをしてる、ていう不良少年のいい子、いわゆるつっぱりというのですか。もうあまり好きではありません。でも、この本が出版されていた時代には、それしかできなかったんでしょうね。とくに、男の子には。

愛しているのなら、愛していると真っ正直に言えるのがいい。ほんとうにそんな時代がくればいい。そうなったら、きっと、こんなにも、嘘かほんとかまるでわからないような情報がお化けのように世界を飛び回っている世界は終わるに違いない。

古い本の黄ばんだページをめくりながら、なんだかそんなことを思いました。







コメント (2)
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