わたしは、果たさねばならない使命のためか、
これが耐えられるのかというほどのことを、
耐えらされた。
そして実際、耐えることができた。
それは人間の限界をはるかに超えていた。
神は、わたしよりもずっと、
わたしのことをご存じである。
決してわたしにできないことはさせない。
ということは、
やれといわれんばかりに、目の前にある課題は、
すべてわたしにできることなのだ。
と、解しよう。
たぶん、同じ経験は、
おふたかたの元にも、あると思う。
わたしとは、ずいぶんと、違った形で。
すでに経験していることも、あると思う。
わたしたちは、人間として、人間社会に生きているので、
当然、人間社会の常識というものに、縛られる。
その視点からすれば、できるはずのないことが、
わたしたちには、できる。
だから、人間社会の常識というものは、
外套のように、自由に脱ぎ着できるものとして、
考えておいたほうがよいと思う。
それが必要なときにはそれを着る。
邪魔だと思うときには、脱ぐ。
そして、やらねばならないことを、する。
案ずることはない。
やろうとは思わずとも、道のほうがわたしたちを吸い込んでくれる。
できるのだ。それは。
わたしたち、には。