相手にスキがないと盗塁はむずかしいのですが、
スキさえあればいくらでもできます。
負けているなかでも粘りが見えてこないと、可能性も見えてきません。
鈴木一朗
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北辰制をこの世界に打ち立てるためには、まず人類社会の中に、その人格と愛を見抜ける高い精神性を持った人間の集団を作らねばならない。
深い人生経験を積み、高い教養を積み、国をまことに愛する人間を、恒常的に機能させることのできる、何らかの形がなければならない。
その人間たちは、馬鹿に政治を任せておけばどうなるかということを、身に染みてわかっているものでなければならない。
この何千年かの人類の苦しみはただ、馬鹿が嘘と盗みで神の位を強引に我が物にし、高い人格の仮面をかぶって為政者となり、人類社会からあふれるほど血を吸ってきたからだ。独裁主義というものは、自分だけが楽に生きられればいいという、獣の自己保存欲に根差した、暗い境地なのである。愛を知らない馬鹿だけが、それをやれる。人の苦しみなど、ほとんど感じることができないからだ。
そしてその無明の野獣は、巧みにレトリックを弄して、民主主義社会の中にも黴菌のように生き抜くことができるのである。
その害はあまりにも大きい。
人間社会の政治の中心に座すべき精神は、高い愛の真実を自分の中に見出し、すべてを愛の元に幸福に導く、神の心を素直に表現できるものでなければならない。その瞳は澄んでまっすぐに人を見る。口から出る言葉は品よく、人の心にするすると入っていく。表情は落ち着き、整っている。気高さゆえに、会うものの心をも引き締める。そういう高く正しい人格が中心に座せば、政治から悪は浄化され、自然に何もかもがよくなっていく。
今の世界は、全く光の見えない、絶望が永遠に勝利するかに見える世界だ。馬鹿が世界で最も高い為政者になり、人間を堕落の底に突き落とそうとしている。
だが、希望を見失ってはならない。何かをやれるはずだ。まごうかたなき絶対の暗闇の中からも、人間は何かを始めることができる。
裏切ってはならない自分を、決して裏切らず、まっすぐに自分ができることをやればよい。真実の姿とは何なのかをつかめば、やらねばならないことはおのずとわかって来る。
粘りというものは、人間の骨の中で生きている。やればよい。北辰は真っ暗闇の中にも存在している。それを信じてやればよい。
そこからすべては始まる。