トップの画像は、先日また見つけた、変り種のタンポポです。筒状花が、変形して曲がっている。
季節は初夏に入り、カンサイタンポポやシロバナタンポポは、ほぼ終わりましたが、セイヨウタンポポはまだ、道端にちらほらと見かけます。けれども、今年のタンポポは、みるたびに苦しい。どの花も、ひどく苦しそうな顔をしています。つらい、いたい、と叫んでいる。
中でも、もういやだと、強く叫んでいるタンポポを見かけたので、近寄ってみましたら、このタンポポでした。タンポポが、タンポポをやるのをいやがっている。違う花になりたいと言っている。
土地によって、同じ花でも微妙に違いがあるのには、その土地の人間の性質や環境とのつながりが、いろいろと影響しています。この土地のタンポポは、少し苦しいことを経験してしまったのです。それは、もうタンポポがいやになるほど、つらいことだったのです。
こんなことがきっかけで、亜種が形成されることはまれですが、見ていると、なんだかほんとにそうなりそうな気がして、心配です。このままでは、この土地のタンポポは、もう2度と、あのかわいい姿で咲かなくなるかもしれない。
それは人間には、とても苦しいことだけれど、あまりにタンポポが苦しんでいるので、それも仕方のないことかもしれないと、思います。どんなにがんばってみても、すっかり元にはもどらないでしょう。微妙に影響は残るでしょう。タンポポのためには、そのほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、車を走らせていましたら、道の隅に、印象的な黄色い光を見つけて、あわてて車を停めました。カメラをもって駆け寄ると、それはなんと、ジシバリでした。春の野山に咲く、タンポポによく似たジシバリ。よくタンポポと間違えられる花ですが、ここらへんでは、かつて見たことがなかったのです。花の形の似た、オニタビラコやヤクシソウ、アキノノゲシなどは見るのですが、なぜか、この町ではこれまで、ジシバリだけは見たことがなかったのです。
写真を撮りながら、もしかしてと思い、「君はタンポポの代わりをしにきたのか」と問いました。すると「ちがう」と答えました。「ではタンポポを助けにきたのか」と聞くと、「そうだ」と。
ジシバリが、タンポポを、助けにきたのです。
また、スーパーの近くで、きれいなタンポポが咲いていると思って、近寄ってみると、それはガザニアでした。ガザニアが、形も大きさも色も、タンポポそっくりに咲いていたのです。それも、とても上手にまねしている。
ガザニアは本来、人間にとても厳しい花です。悪いことは悪いと、きつく怒る先生みたいなところがあります。けれども、このガザニアは、まるで少女のように、まるっきり純真に、いいなあ、いいなあ、みんないいなあと、繰り返しほめてくれているのです。それは、タンポポの仕事。みんなのことを、ただ無心に信じて、喜びたたえてくれる、タンポポの仕事を、ガザニアがやってくれている。
「君も、タンポポを助けているの?」と問うと、「そうだよ」と笑います。
傷ついて笑うことのできないタンポポを、たくさんの花が助けようとしている。無心に笑うタンポポには、もう戻れない。けれども、少しでもなんとかしようと、みんなががんばってくれている。
いつもより可憐にやさしく咲いてくれたカタバミ、いつもよりずっと美しく咲いてくれたシロバナタンポポ、遠くからきてくれたジシバリ、ちゃんと代わりをしてくれたガザニア。
なぜそうするのかと、問う必要もない。それは当たり前のことだから。みんな、タンポポを、愛しているから。
来年の花は、きっとまた、今年と違っているでしょう。どんなふうになっていくのかを、静かに見守っていきたい。少しずつでいいから、タンポポが元気になってくれますように。そしていつかきっと、傷ついたタンポポが、すべてを乗り越えて、もっと美しく咲いてくれますように。
季節は初夏に入り、カンサイタンポポやシロバナタンポポは、ほぼ終わりましたが、セイヨウタンポポはまだ、道端にちらほらと見かけます。けれども、今年のタンポポは、みるたびに苦しい。どの花も、ひどく苦しそうな顔をしています。つらい、いたい、と叫んでいる。
中でも、もういやだと、強く叫んでいるタンポポを見かけたので、近寄ってみましたら、このタンポポでした。タンポポが、タンポポをやるのをいやがっている。違う花になりたいと言っている。
土地によって、同じ花でも微妙に違いがあるのには、その土地の人間の性質や環境とのつながりが、いろいろと影響しています。この土地のタンポポは、少し苦しいことを経験してしまったのです。それは、もうタンポポがいやになるほど、つらいことだったのです。
こんなことがきっかけで、亜種が形成されることはまれですが、見ていると、なんだかほんとにそうなりそうな気がして、心配です。このままでは、この土地のタンポポは、もう2度と、あのかわいい姿で咲かなくなるかもしれない。
それは人間には、とても苦しいことだけれど、あまりにタンポポが苦しんでいるので、それも仕方のないことかもしれないと、思います。どんなにがんばってみても、すっかり元にはもどらないでしょう。微妙に影響は残るでしょう。タンポポのためには、そのほうがいいのかもしれない。
そんなことを考えながら、車を走らせていましたら、道の隅に、印象的な黄色い光を見つけて、あわてて車を停めました。カメラをもって駆け寄ると、それはなんと、ジシバリでした。春の野山に咲く、タンポポによく似たジシバリ。よくタンポポと間違えられる花ですが、ここらへんでは、かつて見たことがなかったのです。花の形の似た、オニタビラコやヤクシソウ、アキノノゲシなどは見るのですが、なぜか、この町ではこれまで、ジシバリだけは見たことがなかったのです。
写真を撮りながら、もしかしてと思い、「君はタンポポの代わりをしにきたのか」と問いました。すると「ちがう」と答えました。「ではタンポポを助けにきたのか」と聞くと、「そうだ」と。
ジシバリが、タンポポを、助けにきたのです。
また、スーパーの近くで、きれいなタンポポが咲いていると思って、近寄ってみると、それはガザニアでした。ガザニアが、形も大きさも色も、タンポポそっくりに咲いていたのです。それも、とても上手にまねしている。
ガザニアは本来、人間にとても厳しい花です。悪いことは悪いと、きつく怒る先生みたいなところがあります。けれども、このガザニアは、まるで少女のように、まるっきり純真に、いいなあ、いいなあ、みんないいなあと、繰り返しほめてくれているのです。それは、タンポポの仕事。みんなのことを、ただ無心に信じて、喜びたたえてくれる、タンポポの仕事を、ガザニアがやってくれている。
「君も、タンポポを助けているの?」と問うと、「そうだよ」と笑います。
傷ついて笑うことのできないタンポポを、たくさんの花が助けようとしている。無心に笑うタンポポには、もう戻れない。けれども、少しでもなんとかしようと、みんなががんばってくれている。
いつもより可憐にやさしく咲いてくれたカタバミ、いつもよりずっと美しく咲いてくれたシロバナタンポポ、遠くからきてくれたジシバリ、ちゃんと代わりをしてくれたガザニア。
なぜそうするのかと、問う必要もない。それは当たり前のことだから。みんな、タンポポを、愛しているから。
来年の花は、きっとまた、今年と違っているでしょう。どんなふうになっていくのかを、静かに見守っていきたい。少しずつでいいから、タンポポが元気になってくれますように。そしていつかきっと、傷ついたタンポポが、すべてを乗り越えて、もっと美しく咲いてくれますように。
大変良いです。最初激しく泣いてしまったものでした。
これからもよろしくお願いします。