方眼編みの最新作です。かわいいゆきだるまを編んでみました。
でもこれ、ちょっと雰囲気が違う感じがするでしょう。ちょっとばかし、難しいことをやってみたのです。
先日、「奥の主座、仮の主座」という記事を書いたんですが、それに関連して、仮の主座、を主に使って編んでみた作品なのです。ほら、どことなく、いつものわたしの作品と違うような気がするでしょう。
かわいいけれど、どこかクールな感じがしませんか。これはね、どういったらいいか。仮の主座にまねいた魂が、少し、クールなものだからです。
ここ最近、疲労が重なっていたので、わたしは全面的に、自分の奥で休みたかったんですが、自己の創作活動は続けなければ苦しかったのです。創作はわたしにとって、魂の食べ物のようなものですし、苦しみの中でも自分が自分であることの手がかりだったものですから。
いろいろなものにすりつぶされそうな苦しみの中でも、レース針を動かしているだけで、自分は自分だと思うことができて、安心感がありました。けれど最近は、それでさえ大変に疲れるという状況があったのです。編み物はしたい。でも、自分でそれをしようとしたら、ほんとうにつかれる。どうすればいいのだとうと思っていると、不思議に、どこかから力がわいてくる。
あ、だれかが助けてくれてるな、という感触がして、その愛に、自分を預けてみたら、こういうものができたのです。これ、わたしの作品にとてもよく似ているんだけど、違うんですよ。わたしが編んだら、こういう感じにはならないのです。わたしが編むと、糸や編み針にさえ気を使って、助けてくれてほんとうにありがとうと言ってしまうので、作品の中のぞうさんやくまさんが、とてもつらそうな顔をするのです。
で、このゆきだるまは、そういう自分を一時やめて、仮の主座の愛に預けてやってもらったのです。そうすると、レース針も糸も、ただの道具になり、それを使う人が主になってやっているという、当たり前の仕事になったのです。
だから、ゆきだるまがあんまりつらそうじゃない。ぽん、と真中に座って、何してるの?きみたち、ていう感じでこっちを見ている。そんな感じがするでしょう。
嘘が嵐のように世界を荒らしている現代、こういうことをしている人は、かなりいますよ。自分と、自分ではないものとで、コンビをくんで、奥、仮を使い分け、ひとりの人間をやっている。そういう感じ。わかりませんか。
「奥」の仕事は主に、自分本来の愛でやること。「仮」の仕事は主に、その本当の自分を生かすために、嘘に上手に対応してやること。
これでやっている人は、たいそうおもしろい仕事をしています。嘘と真実のバランスをとって上手に生きながら、魂の苦悩を減らしつつ、うまく、魂のための仕事をしている。それができる人が、人類を助ける。
バランスをとるのが、かなり難しくて、時々、仮の主座が独り歩きしたり、暴走したりしてしまうこともあるのですが、ほとんどの人は、けっこうなんとかしています。キーワードは、「愛」ですね。「愛」があったなら、なんとかなる。「奥」も「仮」も、愛でやったなら、なんとかなります。
かなり高度ですよ、これは。魂の高度な技です。人生を生き切るために、美しいものに心開き、愛でやることを志せば、愛の響きが助けてくれる。そういう例のひとつです。
どうかな。みなさんにはできるかな? けっこう、忍耐が必要ですよ。なぜなら、できる作品が、あまり自分らしくないから。それが少し苦しいの。でも、助けてくれている見えないものが、わたしを愛してるといってくれているから、なんとかなるんです。
愛でやってくれるから。ほんとうに、助かるんです。
注意しなくちゃいけないことは、「自分で」自分をやっていく主人公は、あくまでも「自分」だということが、わかってる人じゃないと、これできないってことです。仮の主座にみんな自分をやってもらって、楽をしようと考える甘い人がいるかもしれないので、一応いっときますね。
がんばってる人、できる人じゃないと、愛の響きは助けてくれませんよ。