さいきん、ブログをビーストに占領されぎみで、少々わたしも苦しんでいます。あんまりビーストがわあわあ騒ぐので、書いて吐いてるのですけど、読む方もいい加減いやになってきてるでしょう。わたしもそろそろやめなさいよ、と言ってます。
さっきの記事、写真をつけるつもりだったのですが、ファイルの中の花や虫が、みんな、いやっていって、やりたがらなかったんですよ。ほんとです。あきれてものもいえないって感じみたいです。ここまでくると、もうだめだなって思うようなこと。ほんとうに、情けないをとおりこしても、まだやめない。
こういう問題は、あまりにつらいので、だれも本当のことが言えなかったのです。女性が、くさってしまうということは、ほんとにつらいことなので、だれも正視したがらずに、逃げてきたものだから、くさってしまった女性は、どんどんくさりすぎて、とうとう、馬鹿なことになりすぎたってことなんでしょうね。
男性も女性も、くさった女性はものすごく、苦しすぎて、逃げ続けてきたのです。だれも、相手にしなかったから。それで、もはやだめになるまで、放っておかれたんでしょうね。でも、これが、とても大変な問題になっている。人間にとって。
腐ったまま放っておかれた女の人が、暗い所から、あらゆる呪詛を吐いて、世界中のあらゆるきれいなものを、みんないじめ続けてきたから。これがほんとうの崩壊なんでしょう。
いやなことばかりいうようですが、これからは、もう、この問題から逃げてはいけないと思います。あんまりに苦しいのですが、どこかで、打てる手を打たねば、ほんとうにもっと大変なことになる。知恵を出さねば。なんとかせねば。くさる女の子が増え続けるばかりだ。
さてと、ここで本題に入りますが。少しは明るい話もしないと、気分が悪くなるばかりですね。
これは、お茶のポットです。ゲージの関係で、ちょっとひらべったくなっちゃいましたが、デザインの段階では、もっとまるくて、かわいかったのです。出来上がりは少々不満なので、またこのデザインをやり直して、もっとかわいいポットの絵を描いてみたいと思ってるのです。
ディズニーの映画に、ミセス・ポットというやさしそうなポットのおばさんが出てきたでしょう。「美女と野獣」だったかな。(あ、ビーストがでてきた。)魔法をかけられて、ポットになってしまったメイドのおばさん。
わたしは彼女がほんとに好きでしたね。ディズニーキャラクターの中では、いちばん好きです。主人公の、ベルと、ビーストが、好きあっているのを、なんとかして幸せにしてあげようと、いろいろとやってくれる、やさしいおばさん。お説教したり、おいしいお茶をいれて、気持を慰めてくれたり。ほんとうにやさしくて、ずっと頼りにしたくなる。おかあさんみたいな、女のひと。不安なときには、さりげなくお茶を入れてくれて、だいじょうぶだよって、安心させてくれる。だれよりも、自分の気持ちを、わかってくれる。
不器用に恋し始めたふたりが、踊っているとき、愛をこめて歌い上げる歌の美しかったこと。ほんとうにやさしい気持ちで、恋をしている女の子と男の子を、幸せにしてあげようとしている。
あいしあいなさい、しあわせになりなさい、たすけてあげるよ、できることはみんなやってあげるよ。ポットさんの中には、香り高くて、温かくて、みんなを幸せにできる、愛が満ちているんです。そういう女の人が、世界中を幸せにするんだ。
ポットの図柄には、そういう意味をこめたいな。それで、見る人に幸せが伝わればいいと思う。