カール・フリードリヒ・デクラー
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わたしは小さなものに光を見つけるのが好きだ。
百枚の駄作を描く画家も、時にそこだけ光るようなよいものをひとつ描くときがある。
それひとつがあるだけで、そのものがすべてよいものになる。
そういうものを見ていきたい。
世治まり民やすかれと祈るこそ我が身につきぬ思ひなりけれ
後醍醐天皇
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北辰制に向かう道を作るためには、まず馬鹿の政治がどんなものであるかを、学ばねばなるまい。
後醍醐天皇は、王として理想的な人格を持っていたが、あらゆる馬鹿に邪魔をされ、政権から追放され、異形の王として片づけられた。
国民のために情熱をもってやったことも、すべては馬鹿がやったことだにされてしまった。
よいものを馬鹿なものにして、馬鹿をよいものにする。そういうことを、馬鹿はずっとやってきたのだ。
だが、後醍醐天皇を正当な王として立てることができなかったからこそ、日本は間違ったのだ。あれ以来、ずるいことでも馬鹿なことでもなんでもして、痛いことをやれるやつのほうが偉いになってしまったのだよ。
君たちは戦国時代の英雄をもてはやすが、ああいうのは本当は、あまりいいものではないのだ。的確なものは生き残ることはできるだろうが、愛がすさまじく苦しくなる。馬鹿が偉いになってしまう。
徳川家康は馬鹿なんだよ。偽物なんだ。痛い盗みをして、大勢の霊が操作して、でかくした人格なんだよ。家康が王になったからこそ、日本は鎖国して、大変なことになったのだ。
後醍醐天皇の政治が成功していたら、明治維新の苦悩はなかったのだ。あれは日本人がやりえた奇跡のように伝えられているがね、ほとんど、吉田松陰が無理やりやったことなんだよ。
そこまでやらねば、日本の国を救えなかったということなのだ。
なにもかもは、日本人が真実の王であった後醍醐を馬鹿にしてしまったからそうなったのだ。