基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

昨今の坂東の空の様にしめっぽい話 幼馴染の住職の葬儀参列

2015-06-17 17:44:38 | 日記・エッセイ・コラム

 今日の坂東は怪しげな空模様だが此の辺は未だ振り出さない、午後一時からの幼馴染の愛染院のマアちゃんの葬儀に行って来た、などと気楽に云うがトンデモナイ伝燈大阿闍梨大僧正正雄和尚という立派な名前の仏様になって居ました。

 葬儀次第の印刷物 (クリックし見てください)

昔々と云うか大戦前の日本と言う方が良いか、境町に山星と云う酒造会社が在ったが、伯母夫婦は夫の勤め先のこの店のある町の寺の土地を借りて家を建て暮らしていた、幼くして両親を亡くしたオイドンはこの伯母さんの所へ引き取られて育った、物心つくかどうかの年頃だったので今になると故郷といっていいくらいの懐かしい土地である。

 マアちゃんは七人兄弟の末っ子で長男隆光さんはオイドンより五-六歳うえで、大変可愛がって貰ったが、時太平洋戦争の真っ盛り、太田中学四年生で海軍甲種飛行予科練習生となり若くして亡くなってしまった、次は重雄さんだが二歳ぐらい上だったと想うがやはり可愛がって貰い、中一で使った英語のリーダーを貰ったりしたが、のち高校教員となりやはり故人となった、次が敏雄さんだが一つ年下だったと思うが早く渋川の方の寺へ養子に行ったと聞いていたがその後逢った事が無い、その下がマアちゃんだが男五人と聞いているが一人は記憶にない、早く亡くなったか?子供には判らない、上の女性二人は顔は知ってるがずっとお姉さんでお付き合いは全く無く知らない。

 そんな事でお寺はお兄ちゃん連中にいろいろ教わる学校の様でもあり、年下の子たちとは広くて暴れるには持って来いの処、我が少年時代のお寺はまさに天国のような処だった。

 遷化と云うと七十九歳、今流に下賤に言えば七十八歳では未だ勿体ないと言うところ、オイドンから見れば七つは若い、勿体ない話だ。

 いずれにしてもご冥福を祈り、晋山式の済んだ正考師の今後のご活躍を祈るのみである。