静岡にて同窓会があり、翌日(10/26)、幹事の案内にて、家康の築城した駿府城址
を有志と共に見学した。幹事がよく勉強されていて、いろいろ解説してくれたので分り易すかった。
説明を聞いている時は、分かったつもりになっているが、いざブログに投稿しようと思うと、数字
はほとんど覚えていない。適当なところもありますが、ご容赦を!
さて、本題ですが、家康は駿府城(本丸)を2回築城している。最初は現役の時代、秀吉に
関東への入封を命じられる前(1589年)で、2回目は征夷大将軍を徳川秀忠に譲って静岡に
隠居(実際は大御所として、院政を敷いた)した時点(1607年)である。2回目の築城では、
日本で最大の城になっているが、翌年には焼失したようだ。
現在、本丸跡を発掘中で、最初の築城時の遺構、大御所時代の遺構が次々と現れている。
次に、浅間(せんげん)神社を見学した。今までに数回、立ち寄ったことはあるが、さらっと見学
した程度であまりよく覚えていない。
幹事の話を聞くと、いろいろな神社が入ってるが、浅間神社と神部神社が中核の神社のようだ。
西側の門から入って、南側から退出したように思うが、浅間神社、神部神社は南側から入った所に
陣取っている。左が浅間神社、右が神部神社と同居している。そり屋根の立派な神社だが、工事中
でしっかり見られないのが、残念であった。