コロナ感染騒ぎで、海外旅行はしばらくお預けになってしまった。
・・が、ブログを整理していて、インドとロシアについては庭園の記事を書いて
いないことに気づいた。これらの国では、所謂、西欧や東洋、また日本に見る庭園
のように、区画された場所に作られた庭園に気づかなかったためだ。城郭や廟に
併設された庭や風景はこれらの国の庭園と言っても良いだろうという心境に至り、
史跡を中心とした風景や庭を掲載することとした。
インド観光の目玉はやはりタージマハル霊廟だろう。正面から入場すると、タージ
マハル廟では、廟の前面に庭園が広がっている。建物も庭も幾何学的で正に
インド的芸術作品といえる。タージマハル廟は1632年に着工し22年かけて1653年
に竣工した。建設に使った大理石は千頭の象で運び、建設に携わった職人2万人は
世界中(ペルシャ、アラブ、西欧)から招聘したそうだ。また、優秀な設計士、工匠、
細工士が同様に世界中から集められたようだ。(ここの十字型の庭はペルシャの
チャハルバーグ様式という様式だそうだ。)
その他、アンベール城の城郭、中庭、周囲の風景は、全体が大きな庭と言っても良い
だろう。
アンベール城はアンベール王国の首都として建設された。ムガール帝国第3代皇帝
アクバルの時代(1562年)に、アンベール王の娘と結婚して、アンベール王国を傘下に
収めた。築城は1592年から大規模な修復&築城が続けられたが、1727年にアンベール
王はジャイプールへ新たに遷都した。
ファテープル・シクリは第3代皇帝アクバルが息子の誕生に感謝して、1574(~1588)に
アグラから遷都した王城である。
フマユーン廟、アグラ城、なども周囲の風景と調和し、広い意味で庭園と考えて
もよいであろう。アグラ城から眺めるタージマハル廟は周りの風景を背景として、
巨大な幻想的雰囲気の庭園とも言える。
また、霊廟であるフマユーン廟、タージマハル廟はペルシャの四分庭園(チャハル
バーグ)様式や二層様式の霊廟建築がとられ、ペルシャのイスラム建築の影響を色
濃く受けている。
<参考> ムガール帝国の歴史と皇帝 (1526~1858)
1526年にモンゴル系のバーブル(チムールの5代孫)がロディー朝を破って、デリー
に建国した。イスラム教スンニ派を奉じる王朝である。2代皇帝フマユーンの代に
デリーを追われたが、1555年にデリーを奪還してムガール帝国を再建した。
3代皇帝アクバルの時代に領土を拡張し、北インド、アフガニスタン、パキスタン、
バングラディシュを含む領域を支配し、首都を新たにアグラに置いた。
続く第4代ジャハンギール、第5代シャー・ジャハンの前半までが全盛期となる。
5代皇帝までは圧倒的に多いヒンドゥー教徒との融和策をとってきたが、第6代皇帝
アウラングゼーブの代になるとイスラム教への回帰(1679年)を明確にし、ヒンズー
教徒の弾圧を始めたため、様々な問題が発生した。
17世紀に入ると、イギリス、フランスが東インド会社(商館)をインドに設立し、経済的
進出を始める。
皇帝一覧
初代 バーブル 1526~1530 6代アウラングゼーブ 1658~1707
2代 フマユーン 1530~1556
3代 アクバル 1556~1605 終代バハードゥル・シャー 1837~1858
4代 ジャハンギール 1605~1628
5代 シャー・ジャハン 1628~1658
以上です。