[毒入りぎょうざと食料自給率]
毒入りぎょうざ問題についてまたテレビなどで日本の食料自給率の低さが取り上げられている。
確かに先進国ではフランスは130%台、ドイツ91%台、英国70%台に比べると、39%と言う日本の低さが際立っている。
一方、9日の読売新聞は次のように報じている。
8日のシカゴ商品取引所で、小麦の先物の3月渡し価格の終値が、1ブッシェル(約27キロ・グラム)=10・93ドルと過去最高値を更新した。
米農務省が同日発表した小麦在庫の推計値が約60年ぶりの低水準となり、市場で需給の逼迫感が広がり、買いが優勢となった。世界的な小麦の不作が背景にある。
様々な食品の材料となる小麦の多くを輸入に頼る日本でも、製品の値上がりが懸念される。
なお日本人の主な食料源である大豆価格も急騰し、これを原料とする豆腐、納豆、醤油などの値上げを迫まられていると伝えられている。
テレビなどでは経済学者が、金余りのファンドの金が値上がり確実な小麦や小豆に回り更なる価格上昇は避けられないと言っている。
なかには食料自給率は経済の問題ではなく、日本の自然環境を如何に保つと言う観点からこの問題を捉えるべきだと言う専門家もいるようだ。
[需要と供給の観点から見た農業政策]
これには一理も二理もあると思うがここでは敢えて経済問題の点から考えて見たい。
良く言われる事だが、日本の休耕田全てを併せると埼玉県の面積に匹敵するほどの広さがあるそうだ。
今頃、農村地帯に行って見ると、稲を刈り取られたあとの多くの田んぼがそのまま放置されているのが目立つ。
私ども工場で如何に生産性を上げるかと尻を叩かれながら働いていた人間から見れば、安全な日本の農産物やその加工品を食べたいとか、自給率を上げるべきだとかの声が多く、小麦や大豆の価格の上昇に示されるように旺盛な需要があるのに、貴重な生産設備である田んぼを休耕田として放棄したり、次の田植えまで遊ばせるなど考えられないことだ。
また年寄りの悪い癖で、昔のことをくどくどと繰り返すのだが、昔は少なくとも九州の農村では米と麦の二毛作は当たり前だったし、遊んだ田んぼではれんげ草を植えて地力を回復させたり、菜種を植えていた。
また田んぼの畦には、大豆を植えているのが普通の風景だった。
この農村風景を壊したのは大雑把に言って、
・戦後の米不足→米作の奨励
・日本の工業の発展→外国、とくに米国への輸出の増加→財政の余裕→農業への補助金増加
・(特に米国からの圧力による)安い価格の米の輸入増加→日本の農家の収入減
・米価の統制と言う形の農村の支援の恒久化(大企業などからの税金により)
・これが農家の当然の権利と言う観念を植えつけ→農協の圧力団体化
・日本人のパン食などの食生活の変化→米余り→減反への補助
などで、減反などの珍妙な政策など、普通の工業製品製造企業などでは考えられないことだ。
詰まり、1960年には80%もあった自給率が半減した最大の原因は、農村への援助の対策として余りにも米作ばかりに重点を置いた、極端に言えば、米作だけに向いた農業政策の失敗だ。
だから、米さえ作っていれば少なくとも元はとれる生活に慣れてしまったのだ。
減反で収入が減った分は出稼ぎをする人や都市部周辺では兼業農家が発生した。
その一方昔のように麦や菜種など作っていては、損するばかりだ。
これらが今の田んぼが遊んでいる原因だ。
つまり農村の生産性ががた落ちにになっててる原因だ。
低い食料自給率を余所に折角の生産設備である田んぼが遊んでいるのだ。
勿論農村問題は他に多くの問題があり、農村の人達も悪い条件の中で頑張っていいる人も多いと思うが大局的にみれば私の考えはそう誤っていないと思う。
[これからの農業政策]
今までの農業対策は生産者保護が重点だった。
これからは経済的な面からも考える必要があると思う。
政府や識者も国民に米食の見直しや食育をすべきだと言う。
然し経済面から言えば農村が需要に応えるような援助をするのも大切なような気がする。
米余りの原因の一つは国民の嗜好がパンや麺類などの小麦製品に向いているためだ。
小麦の需要があれば小麦を作るべきだ。
一方小麦の価格は高騰し、その傾向はまだ続くそうだ。
つまり高い小麦の需要に応えるべきだし、高騰する小麦価格を考えればその補助金も少なくて済むかも知れない。
大豆も全く同じことだ。
私は農業はまったくの素人だが、田んぼの畦という悪条件で育つのだから、いま遊んでいる休耕田なら十分過ぎる適地と思う。
後はその生産効率を如何に上げるか指導すればよい。
今、大問題になっている、ぎょうざや農産物の加工製品なども、農村部に工場を作れば、農閑期などの農村特有の生産性向上を妨げる原因を無くすことが出来る。
特に日本人には安全性の高い食品への需要が高い。
そのために少々値段が高くても買ってくれるだろう。
今まで政府は農村の方ばかり向いていた。
そして農村も昔は政府ばかり向いていた。
今では農村の人達もそのお客である一般消費者の方を向き始めているようだ。
そして今以上に経済原理に従って消費者の需要に応えるべきだと思う。
小麦の需要があれば小麦、安全な農産物加工食品を欲しがっているならそれを供給すべきだと思う。
小麦や大豆の価格が暴騰し、安全指向がますます強くなっている今を逆にチャンスとして捉えられないだろうか。
そして、政府もその方向に進む方に農村への補助金を廻すべきだと思う。
民主党の農家の所得保証の形の補助金支出政策に対応して、自民党も何か考えているようだが、過去の自民党の対農村政策がそれを弱体化させた過ちを二度と繰り返してはならないと思う。
同じ補助金を出すのなら、農村の生産性の向上とそれについて行けない老人や過疎地の人達の援助の方に向けるべきだと思う。
参照:農村の再生のために
小麦値上げをビジネス・チャンスに
政治討論番組の見方→[報道2001の「農家の悲鳴に政治はどう応える」]
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