[人的資源と少子化]
ひと頃、自然資源の乏しい日本が諸外国との競争中で生き抜いて行くには、勤勉で優秀な「人的資源」に頼るしかないと良く言われたが、最近はこのような話はマスコミの報道では殆どない。
「人的資源」の話は少子化の傾向が益々加速度的にそして確実に進行している今こそ言われるべきなのに何故だろう。
政治家も識者もマスコミも完全に匙を投げたのかのように、先ず少子化ありきの前提で話をしている様だ。(中川秀直さんの1千万の外国人労働者導入提案がよい例だ)
このまま少子化が進めば素人考えでは、日本人が絶滅しそうな気がするが、ある所で落ち着くとでも思っているのだろうか。
そして日本はグローバル化の波の中で、人的資源の活用以外の方法でどうして生き抜いて行くのだろうか。
それで今日は「人的資源」のキーワードで日本人としての個人の責任について考えて見たい。
[高齢者への提言]
今、後期高齢者医療制度の問題では高齢者を弱者扱いにされている。
テレビで言われるように戦後以来頑張ってきた人が安心して暮らせるようにすべきだと言うのも、該当者としての私に取って有り難いことだ。
然しそれは一昔の話で、今の厳しい財政事情と、少子化の影響が各方面に確実に出てきている現状では、高齢者が退職後のんびり過ごす時代ではない。
高齢者がのんびりするのは昔の様にのんびりした時代が再現してからの話だ。
それ迄は
・高齢者も働けるだけ働く
年金を貰っていれば現在の法定の最低賃金以下でも良いから企業のコスト削減になる。
・働けなくなっても何らかの形で社会に貢献する
趣味のグループの主催や手伝い、コミュニティーの活動への参加など
・健康に気をつけて医療費の削減に協力する
運動をする。
定期健康診断を受け、悪い所があればひどくなる前にすぐ直す
・医療費の削減のため不要な人口的な延命治療は遠慮する
・出来ればコロリと死ぬ(ように健康に気をつける)
「現役、特に40~50代の人達への提言]
・退職後も働くつもりで準備する
もし他分野に進むときはそれに関しての勉強をしておく。
・健康管理に気をつける
定期健康診断を受け、悪い所があれば直ぐ直す
老齢期の健康は40~50代の健康管理に大きな影響がある
若いときに無理した人達が退職後、高血圧、心臓病など成人病で病院にかかったり、肺ガンなどで早死する例が余りにも多い。
煙草を止める。飲食は意識してほどほどにする。
・働けなくなっても何らかの形で社会に貢献できるよう準備しておく
在職中から趣味を持つ、地域のコミュニティーに出来る範囲で手伝うとう
[若い人達への提言]
・少子化の日本に与える深刻な影響を考えて自分の生活設計をする。
育児より自分の生活が優先という世の中の風潮に惑わされない。
皆がそう思ったら日本はどうなるか考える。
・自分自身の価値観で自分の生活設計をする。
男女雇用機会均等法に象徴されるように、仕事に就かない女性が劣っていると言わんばかりの風潮に惑わされない。
次世代の人達を産み育てるのも、若い人達しか出来ない崇高な使命であることを知る。 社会に出て、自分の能力を発揮するのも生き甲斐があり、楽しいと同様に家庭で子育てをするのも生き甲斐も楽しさもあることを知る。
・自分の老後のことを考える
多くの子供や親戚に囲まれた老後、たった二人だけの老後のどちら選ぶか
老後の生活に友達を当てにすると言う人もいるが、私たち年寄りは周辺で、大病に罹るとその本人・家族と友達の間で、互いの遠慮から次第に疎遠になって、次第に家族だけになって行く事実を多く見てきた。
[個人の責任について]
・戦後の民主主義の教育で個人の権利や自由については、充分に教えられてきたが、それに伴う義務や責任についてどれだけの教育がされて来たのだろうか。
・一方、政府や政治家もマスコミも個人の権利について言っても、個人の義務や責任については殆ど触れない。
その理由は戦前、戦時中のトラウマがまだ残っており、義務とか責任と言えば直ぐに軍国主義に結びつけられそうなのを恐れているからだ。
そう言う私自身でさえ上記のように各世代への「責任」でなくて「提言」の形で書いている。
つまり各世代の人達が自分で責任を感じてくれという意味だ。
高遠さん等の拉致事件
唯一つの例外がある。
イラクで高遠さんなど三人が拉致されたとき、その家族や支援者(後で左翼系の人達だと判った)が、三人が政府からの要請を無視して行動をしために事故に遇ったことを棚に上げて、救出のために自衛隊を撤退させろなど、あたかも政府の責任のように言い出したとき、政府関係者がそれは自己責任だと言い出したときだ。
この自己責任の発言は早速多くのマスコミに採り上げられて、政府批判の材料にされた。
一番呆れたのは、宗教学者までがこれを採り上げて政府批判をしているのをテレビで見たときだ。
それ以後小泉さんの改革でしばしば自己責任の言葉が出たが、これは規制を外した以上の責任は企業や自治体にあると言う意味で、マスコミはその事実に就いては批判はしても、自己責任と言う言葉については殆ど反応しなかった。
秋葉原通り魔事件
そして秋葉原通り魔事件が起こったとき、ネット上では犯人の自己責任だと言う言葉が多くの書き込みで見られたが、マスコミでは犯人個人の背景を探っても、それは一時的で非正規労働者の置かれている事件の環境などの背景の追求に多くの時間を費やしている。
これは犯人の同じような環境に置かれている人が見れば事件の正当性を訴えているようなものだ。
不祥事を起こした企業や政府関係者の個人の義務や責任の問題は追求しても一般個人の責任を追求しないこと、政府や政治家も個人の責任については高遠さん事件以来口にしないことが、どれだけ社会にマイナスの影響を与えているのだろうか。
いずれにしても、最初に書いたように、
・自然資源が乏しい日本が諸外国との競争中で生き抜いて行くには、勤勉で優秀な「人的資源」に頼るしかないこと、
・少子化の傾向は益々加速度的にそして確実に進行し、いまは殆ど既成事実かしている、
と言う事は間違いの無い事実だ。
このような日本に取って大きな問題でも、各世代とくに少子化については若い世代の人達が自分で責任を感じて貰うしか解決の道はないのだろうか。
唯一私が考えつくのは、各マスコミがこぞって大々的に少子化防止に関連した個人の責任のキャンペーンをやること位しか無いのだが。
参照:→カテゴリー → 少子高齢化
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