masaring

自己チューの進行形日記でshow。

自分の「音」を持つ。

2008年12月08日 | 音楽!何でも大好き

20081021_015

【また、昭和を代表する作曲家が逝去された。とても淋しいね。】

Tubaki

遠藤実さんが12月6日に亡くなられたと言うことだ。
私にとっては思い入れのある作曲家であり、私が歌を
作ろうと思うようになったのも彼の作った歌に起因する。

過去記事にもしている。⇒「私が歌を好きになった理由」

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彼が、歌手を目指し新潟から東京に出てきたのは
昭和24年であるという。だが某新聞社主催のノド自慢に出て
落とされてプロ歌手への道を閉ざされたという。

まだ彼が10代のころの話。東京の三鷹や荻窪あたりで、
ギターを手に「流し」をしていた。腹が減ると食堂で、
サンマの開きとみそ汁だけの定食を食べた。そんなとき、

注文もしないカツ丼を黙って出してくれた
3つ年上の店の女性。後の彼の夫人であったという。

Tubaki

東京の下町生まれだが、小学校5年のときに新潟に疎開し、
新潟が第二の故郷になった。家が貧乏だったため
高等科2年で社会に出て働きはじめた。

行けなかった高校への憧れをメロディーにしたのが、
舟木一夫さんの「高校三年生」や「学園広場」だったという。

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こう書くと、戦後日本の苦労を一人で
背負っていたかのような半生だが、
彼の紡ぎ出したメロディーにそんな「暗さ」はかけらもない。

口ずさんでいて、故郷や子供時代がなつかしくなるのが
「遠藤メロディー」だ。いつもポケットに「故郷」を
秘めていた作曲家だったという気がしてならない。

Tubaki

私が小学5年生だった頃、雑誌「明星」の付録の「歌本」に
彼の立ち上げた、ミノルフォン・レコード特集が掲載された。

一期生の、千昌夫さんや三船和子さんを始め15組の新人の
歌を掲載していた。すべて彼の作曲であった。その会社での
最初のヒットは、山本リンダさんの「こまっちゃうナ」だった。

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彼は生前「我々音楽家は、絵の具を持たない画家なんです」
と語っていたという。「画家が自分の好きな色をどこかに
使っているように、作曲家も自分の好きな音をどこかで使う」
いうのである。音楽家は自分の「音」を持たなければならないと。

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先日も「日本作詩大賞」にノミネートされた楽曲に
彼が作曲した歌もありそのメロディーは希望に溢れていた。

まだまだお元気なんだと思っていた矢先の突然の訃報だった。
76歳だったという。私の親世代だ。

Tubaki

服部良一氏、古賀政男氏、吉田正氏、それぞれに
「自分の音」を持った巨匠たちもすでにいない。

日本の音楽の世界ばかりでなく、文化そのものが
衰退しないか、心配している音楽好きの私である。

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20081201_002

【追悼の意味を込め「星影のワルツ」と「雪椿」を聴いています。】

Tubaki

コメント (6)
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