このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。
大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。
また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。
「父親が持病を悪化させて危篤状態に陥った時のことだ、僕は弟妹たちに連絡を入れてから枕元に付き添った。
肩で荒く息をして、酸素マスクの下の顔をゆがめながら、しきりになにか言いたそうにしている。
どうしたの?と口元に耳を寄せた。
『ギャングにピストルで脅されて、金を要求されている。弁護士を頼んでくれ。』
今こんな話?と思いつつ、人それぞれだからな、と気を取り直して尋ねた。
いくら要求されてるの?
『一億円。』
わかった、腕のいい弁護士を頼むし、自分でも交渉してみるよ。
しばらくすると目を開けた。
『弁護士はどうなった?』
ああ、2兆円払ってオレが解決したよ。要求は取り下げるって念書も交わしたから大丈夫だよ。
『そうか。助かった。 、、2兆円か。』
ほっとしたように、父は目を閉じた。
それがまたしばらくして、口を開いた。
『一関市で料亭を開業するそうだけど、考え直した方がいいんじゃないか?』
このけせもい市でこども食堂はやるかもしれないけど、料亭はないね。誰に聞いたの?
『ラジオで言ってた。』
それは僕の口癖だった。元ネタは映画『巴里のアメリカ人』で、パリジェンヌのヒロイン、レスリー・キャロンとアメリカ人の画家ジーン・ケリーがセーヌ河畔で交わすかみ合わない会話の中に登場する。
悪運が強いのか、父は奇跡的に回復し、僕は弟妹たちから世紀の大誤報だと責められるはめになった。
でもそのあと時々父は言った、『二兆円あったら別の事業もできたのになあ』と。
僕は苦笑しながらなにも答えなかった。」