今月発売された『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想からみた真価』(大木毅著、角川新書)が売り上げチャートにランクインしている。
山本についてはもはや語り尽くされており、屋上屋を架す感がするが、大木の前著「独ソ戦」は大ベストセラーを記録しているだけに、期待を持って手に取った方も多いのかもしれない。
同い年の義兄の自慢は、山本五十六の元従兵長と面識があることだった。
そのひと、近江兵治郎上等兵曹は太平洋戦争開戦前の昭和15年から山本が戦死する18年までの3年間、彼の人となりを間近に見ていた。
戦死した山本の遺品を片付けたあと内地(日本国内)に転属となって終戦を迎え、故郷の秋田で大手木工家具会社の営業マンの職に就いた。
その関係で、青森の老舗家具店だった義兄の家を訪れ、時に義父やその父たちと親しく酒を酌み交わしたのだそうだ(昔の営業マンは客の家に泊まって宿代や食事代を浮かすのが当たり前だった)。そして子供だった義兄もその座に交じり、近江元従兵長に山本や乗艦した連合艦隊の旗艦大和や長門の話をねだった。
近江はその後会社の役員兼東京支社長となり、東京で亡くなっている。
2000年に彼は「連合艦隊司令長官山本五十六とその参謀たち」というタイトルの回想録を出版し、その中のエピソードはかなりの点数がウィキペディアなどで紹介されている。
ただ、昨年読んだ戸髙一成(大和ミュージアム館長)と大木の対談の中で、この本に書かれている逸話は近江の記憶違い、あるいは言外に作り話であるというニュアンスで語られていた。
僕自身は本人にお会いしたわけではないが、実直な仕事ぶりで山本の信頼を得て、また戦後は会社役員まで上り詰めた東北人の近江がなにも作り話を書く(話す)メリットがあまり感じられないことから、やや心外だった。
近江が義父に謹呈した本は義父の死後、なぜか義母から僕の手元に届いている。
だからなおのこと、僕はこうして近江を擁護しなければならないのだ。