NPO法人なごやかの理事長はどう考えても働き過ぎだ。
当の本人も自覚があるらしいのだけれど、時々、もっと仕事がしたい、と独り言を漏らしては周囲をあ然とさせている。
ある時、隣市で開かれる大きなセミナーの演者として招かれ、数日前から徹夜続きで資料やスライドを準備していたのが、折悪しく当日の午前中に長くホームに入居されていて亡くなった利用者様の葬儀が決まると、強行軍覚悟で参列する、と言い出した。
午後からのセミナーは隣市にあるなごやか施設の職員たちが何名か聴講することになっているので、葬祭会館で自分を拾い、セミナー会場まで届けてくれないか、との依頼を私は受けた。
当日。葬儀が予想より大幅に長引き、大きなガーメントバッグ(衣装ケース)を抱えた理事長は私が待つ車の後部座席へ滑り込むようにして乗り込んだ。
ここから会場までちょうど一時間、集合時刻まではほとんど誤差の範囲だ。
私は真剣にハンドルを無言で握り続けた。
30分ほどたったころ、理事長が口を開いた。
焦らせるつもりはないけれど、到着はぎりぎりになりそうなので、申し訳ない、今から上だけ着替えさせてはくれないだろうか。
この申し出には少し驚いたが、確かに会場に着いてから着替えている時間はなさそうだ。
私は努めて冷静な声でどうぞ、構いません、と答え、バックミラーを動かした。
なんとか間に合って会場の玄関に降り立った理事長は淡いピンクのシャツに千鳥格子のジャケット姿で、礼服の黒いズボンと合わせても全く違和感はなかった。
そのまま本番に臨むのだな、と思った。
大きく手を振る理事長を残して私は帰路に着いたのだが、不思議だったのは、狭い車の中で男性が着替えているというのに、自分がドキドキしなかったことだ。
これを言ったら理事長は傷つくだろうか。
あるいは、僕はきみの父親みたいなものだからな、と苦笑いするだろうか。
そんなことを考えては、毎回くすくす笑ってしまう。
売れない画家のNは時々画商から口座へ振り込まれる作品の売買代金だけでは暮らして行くことができず、児童生徒向けの絵画教室での講師のアルバイトでなんとか糊口をしのいでいた。
そんなNにもたった一つだけ自慢できるものがあった。
7年ほど前のこと、これまたアルバイトで資産家宅へ額装の修理に行った際に、丁寧で手早い仕事ぶりがその家の未亡人の目に留まり、駄賃代わりにといただいた絵筆である。
金色がかった真珠色の柄はほっそりと長く、筆毛もきれいに揃っている。
由来は未亡人もわからなかったが、亡くなった夫が買い求めたものだそうで、先の方に小さく画材店の名前が印字されていた。
Nはとても喜び、以来、大事な作品を制作する時は必ずその絵筆をメインに使うようになった。
ある夜、絵画教室から狭いアパートに帰り、自分の作品に取り掛かろうと道具箱を開けたところ、例の絵筆がない。
Nは心臓がのど元までせり上がってくるのを感じた。
すぐさま電車に乗って教室に戻り、室内を隅から隅までひっくり返すように探し回った。
ないのが分かるとNは教室の主催者へ掴み掛らんばかりににじり寄って生徒の名簿を奪い取り、全員の自宅へ連絡して絵筆のことを尋ねた。
誰も知らないと答えた。
Nは教室をクビになった。
あの絵筆のことはもう忘れよう。
そう心に誓うものの、翌日にはまた考えている。
気を紛らわそうと、彼は絵に打ち込んだ。けれども、めっきりといい作品が描けなくなっていた。
寺で座禅を組んだ。
陶芸に傾注した。
写経に取り組んだ。
ところが、やればやるほど、気分転換のつもりが逆に精神が集中し、モチーフではなく絵筆のことを考えてしまう。
Nは意に沿わない仕事をしながら、時間と予算が許す限り、県内・県外あちこちの画材店を巡り歩いては同じような絵筆を探し、買い求め出した。
あの絵筆が販売された店にも行ってみた。けれども、老店主からはもうそのメーカーは廃業しており在庫もない、と言われてしまった。
Nの手元にはどんどん不要な絵筆がたまって行った。
それが二年ほどたったある日、期待もせずにまた老店主の元を尋ねると、彼は笑顔でNを出迎えた。
「ちょうどアンタへ連絡するところだった、いいところに来た。これが探していたものじゃないか?」
一目でわかった。
Nは震える手で絵筆を受け取った。
感触は元のままだった。
「でもどうして―」
「ごみ収集の作業員が、やぶれた家庭ごみの袋から柄が出ているのを見つけて、高価なものではないか、と古道具屋に持ち込んだそうだ。
そこの店主は私の古い仲間でね、ウチの店名が印字されていたので、買い取った後に電話をくれた。
それで昨日、買い戻しに行ってきた。」
「ああそうでしたか。ではお代はお支払いします。ただ、持ち合わせが少ないので全額払えるかどうか―」
「馬鹿を言いなさんな、考えてもごらんよ、シンデレラはガラスの靴を取り戻すのにお代を払ったかい?
無粋なことを言っちゃ困る。そいつはアンタのものだ。アンタが持っているのがいいんだよ。」
気がせいていたNは、開けたつもりのアパートの玄関ドアに激突してしまった。
彼は部屋に放り出していたキャンバスを拾い上げ、それに恐る恐る絵筆を置いた。
するとどうだろう、それまで自分の中でバラバラだったものがあたかもベルトコンベアを通したかのように再び組み上がってくるのを、彼は感じていた。
洋の東西を問わず、ほとんどの小説が映画化されている中で、たった一本だけ、事情があって未着手のものがある。
ダシール・ハメットのハードボイルド小説の金字塔「血の収穫」だ。
黒沢明の「用心棒」はこの小説をベースにしたもので、マカロニウエスタンの「荒野の用心棒」はその無断借用、「ラストマン・スタンディング」は正規のリメイク、「ミラーズ・クロッシング」は「用心棒」と同じレベルのオマージュ。みな公式な映画化作品ではない。
ずいぶん昔にどこかでチラッと読んだことがあるのだが、「血の収穫」は映画化権をイタリアの大(トンデモ)プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが持っていて、彼は主役のコンチネンタル・オプをハリソン・フォード以外では撮りたくない、と考えていたのだそうだ。
ラウレンティスが亡くなってもう久しいが、その権利は同じくプロデューサーの娘がまだ持っているのだろうか。
でも、ハリソン・フォードも老けてしまい、40歳代のコンチネンタル・オプ役はもう難しいだろう。
小説の映画化作品で、好きなものはたくさんある。エイン・ラントの「摩天楼」、モートン・トンプソンの「見知らぬ人でなく」、ジョセフ・コンラッドの「文化果つるところ」、バーナード・ショーの「ピグマリオン」、キャサリン・アン・ポーターの「愚か者の船」。出来はひどいがジョン・オハラの「秘めたる情事」はストーリーがとてもよかった。
最近、トーマス・ハーディの「遥か群衆を離れて」(1967年)がDVD化されて驚いた。もう一生観れないものと思っていたので。たぶん、2015年に再映画化されたことの余波・恩恵か。2本を観比べてみるのも楽しいかもしれない。
今朝の地元紙はK市内の介護福祉関連企業の広告がまとめて掲載されており、それに併せて組まれたシリーズの企業紹介は、2年ぶりにNPO法人なごやかと、市内屈指の名門法人かなえが浦会さんだった。
かなえが浦会さんの写真は、夏祭りの一コマだろう、職員20名以上が浴衣姿で楽しそうにしている賑やかな集合写真だった。
その隣りに並べて掲載されたなごやかの写真はというと、同じように20名ほどでの写真なのだが、GHジョバンニの建物をバックに職員たちが揃って一様にすまし顔だ。
僕は吹き出してしまった。同じ介護福祉の企業なのに、こんなにもトーンが違うのだなあ。
どれどれ、と肩越しにざしき童子がのぞき込んできた。
素敵じゃない。私も写っているわよ、ホラ。
指で差し示している。
あ、ホントですね、とうかつにも楽しげに答えてしまった自分が少々いまいましく思えた。