正月にヨガマットを新しく購入した。
そして今夜は今年初めてのレッスンだったのだが、インストラクターから、先月で習い始めて8年目に入ったと聞き、我が事なのにひどく驚いてしまった。
丸7年も習い続けて全く上達しないことと、仕事仕事の毎日の中で週一回一時間、レッスンの時間を持てたということに。
インド音楽に影響を受けたビートルズ中後期の曲をかけながら、メディテーション(瞑想)したり、ヨガをやったりしたら、どんなにカッコいいだろう、と若い頃から密かに考えていたのだが、まさか初老になってから本当にヨガを習うとは、そして何年も続けることができるとは、思ってもみなかった。
これからはもう少し自主練に励もう、アヌーシュカ・シャンカール(ジョージ・ハリソンのシタールの師ラビ・シャンカールの次女)でも聴きながら。
稽古とは 一より習ひ 十を知り
十よりかへる 元のその一
千利休
訳 : 稽古というものは、初めて一から習う時と、十まで習って元の一に
戻り、再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているものだ。
だから十まで習ったからといって、これでよいと思った者の進歩は
それで止まり、その奥意をつかむことはできない。
1966年8月のアメリカツアーを最後にビートルズはコンサート活動を休止する。
巨大化し、マンネリ化したツアー疲れと、ライブで再現するにはその楽曲が複雑になり過ぎたというのが理由だった。
それでも彼らの人気は衰えず、レコードセールスは伸びる一方だったが、しばらくしてポール・マッカートニーはジョン・レノンへコンサートの再開をしきりに提案する。
またデビュー前のように小さなホールで演奏しよう、と。
レノンは首を縦には振らなかった。
こうしてすべてを手に入れ悠々自適の生活ができるようになった今、なぜそんなことをしなくちゃいけないんだ。
結局ビートルズは映画「レット・イット・ビー」用にアップル社屋上でのライブを行なっただけで解散する。
その後レノンは散発的にチャリティライブを行なっては、緊張のあまり開演前に吐いたり、自分の思うようなクオリティに届かず「リハーサルにようこそ」などと自虐的ジョークを口にしている。
一方ポールはソロデビュー後、素人の妻リンダを含む無名のメンバーとウイングスを結成すると、地方の大学でのアポなしライブから始め、3年かかってトップ・アーティストに返り咲いた。
80年に日本で逮捕されたことがきっかけでバンドが解散すると今度はソロとしてヒット曲を連発、3度目の頂点に立つという、前人未到の偉業を成し遂げている。
どちらの生き方がいいとか悪いとかではない。
一生は一度なのだから、心の求めるとおりに行動するのが大切だ。
日ごろから職員たちには、苦労するだけだから(ポールのような)キャリアパスの逆走はするな、としつこく言っているのだが、すればしたで支援するし、するからには思い切りしなさい、と内心エールを送り続けている。
たぶん、自分自身もそんな性質だからか。
「あまり手の内を書くのは良くないことだが、毎日たくさんのひとと会うのが仕事のような僕は、特に初対面の相手は必ずプロファイリングする。
主に時間の節約と、会話をスムーズに進めるために。
ところが、とある若い女性に会った際、ふだんの倍の時間眺めても、なんの情報も得られず、ひどく焦ってしまった。
それもそのはず、彼女はざしき童子だったのだ。
以来、僕は彼女の前に出る時だけは、無心でいるよう心掛けている。」
シャーロック・ホームズがミス・アイリーン・アドラーをプロファイリングするのだが、、(BBCドラマ『シャーロック』より)
娘の担任教諭(京都府出身)が中学校の終業式の日に、成績票を渡しながら生徒一人一人へはなむけの言葉を贈ったという。
なんて言われたの、と尋ねたところ、「ミオさんはできるのだから、もっと人前に出るように」だったそうだ。
虚を衝かれた思いがした。
まさにこの言葉は、優秀なのに奥ゆかしく、引っ込み思案で自己評価が低過ぎる上級職員に対し、勇気づけようと繰り返し話してきたものだったから。
ウイリアム・ホールデン主演の映画に「第七の暁」(64年)という作品がある。
第二次大戦中、マレーで抗日ゲリラとして共に戦ったゴム園主(ホールデン)と現地人リーダー(丹波哲郎)。強い友情と信頼で結ばれていた二人だったが、数年後、独立運動が激化する中、モスクワ帰りの丹波は共産主義テロリストを指揮して次々と過激な事件を起こし、ホールデンもまたその渦中に巻き込まれて行く-。
映画評ではあっさり「凡作」と片付けられていることが多いけれど、僕はこの映画が好きで、10代のころからテレビにかかるたび観ていた。
大霊界へ行ってしまう前の丹波は、ホールデンを敵に回しても持ち前の押し出しの良さ(=態度のデカさ)で一歩も譲らない大好演。
褒め過ぎかもしれないが、この映画の丹波哲郎と、「ブラックレイン」の若山富三郎、それに「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」の岡田英次が、全ての外国映画に登場した日本人ベスト3ではないかと思っている。