なけなしの小遣いをためて洋服を自分で買い始めたころ、「華麗なるギャツビー」(1974年)を観た。
ギャツビー(ロバート・レッドフォード):
洋服はロンドンの知人が季節ごとに見つくろって送ってくれるんだ(と、クローゼット内のシャツを次々放り投げる)。
デイジー(ミア・ファーロー):
こんなきれいなシャツ、私これまで見たことないわ(と泣く)。
クレジットにはないものの、男優の衣装デザインはラルフ・ローレンが手掛けている。
その「ギャツビー」が2013年、39年ぶりにリメイクされ、日本でもロードショー公開された。
男優の衣裳提供はブルックス・ブラザーズで、本国アメリカのHPでは、映画とのコラボアイテムも多数掲載・販売された。
長く生きるとこんなこともあるのだな、と思った。
もっとも、原作者のスコット・フィッツジェラルドが初めてゼルダ・セイヤーに会った時、ブルックス・ブラザーズで誂えた軍服を着ていたという有名なエピソードがあるくらいだから、少し考えればそうあってしかるべき順当な組み合わせなのだが。
ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)
今年の七夕も、残念ながら去年に続いて天候が良くないようだ。
万葉集巻八 秋雑歌に収められた七夕の歌の作者未詳のものから。
この夕(ゆうへ)降りくる雨は彦星の
早漕ぐ舟の櫂の散りかも
訳:この夕べに降る雨は、彦星が急いで漕いでいる舟の櫂(かい)のしぶきなのかも。
この七月七日の夕べに、天から降る雨は、彦星が天の川を櫂で漕ぎ渡る水のしぶきだろうか。あいにくの雨の夜に、天の川を急ぎ渡ろうと焦る彦星の姿がありありと想像できる。
ジョン・ウエインがハワード・ホークス監督の作品に出演する際、律義に必ず着けているベルトのバックルについては諸説あるが、映画「赤い河」(1948年)の撮影中、ホークスがロケ地のメキシコで記念に同じデザインのものを複数作らせ、出演者やスタッフにプレゼントしたというのが真相のようだ。
主人公ダンスン(ウエイン)が劇中で考案する、ダンスンのDに川を描いた牧場のロゴ(上の写真)と、ロープの円の中にはそれぞれのイニシャルが刻まれていた。
ホークスとウエインは友情の証しとしてお互いのバックルを交換しているという説もあり、写真がどれも小さく不鮮明で判別できないものの、そうだったらいいな、という泣かせるエピソードだ。
「ハタリ!」(1962年)の撮影現場で。中央がホークス。左は主演女優のエルサ・マルティネリ(衣裳イディス・ヘッド)、ホークスの右隣で同じバックルを着けているのは撮影監督のラッセル・ハーラン、その隣でカメラをのぞいているのがウエイン。
ハーランもウエイン同様、「赤い河」で初めてホークスと顔を合わせ、その後の彼の作品のほとんどを撮影している。B級映画の現場でくすぶっていたハーランは「赤い河」のあと有名監督たちにこぞって起用されるようになり、ビンセント・ミネリ監督の「炎の人ゴッホ」(1955年)、ビリー・ワイルダーの「情婦」(1957年)、ブレイク・エドワースの「グレート・レース」(1964年)、そして1962年には最高の映画「アラバマ物語」も手掛けている。
こう列挙すると、恩人ホークスのアフリカの現場まで思い出のバックルを着けて馳せ参じる彼の気持ちもわからないでもない。
「ハタリ!」
「リオ・ブラボー」(1959年)
「エルドラド」(1966年)
やまねこデイサービスの事務室で相談員たちと今月のイベント企画について打ち合わせていると、玄関戸が静かに開いた。今年も七夕飾り用の笹竹を携えたNPO法人なごやか理事長だった。
利用者様がたへ「やっぱり短冊に書く願い事と言えば、『商売繁盛』ですよね!」などとお約束の冗談を放って笑わせながら手早くそれをホールの定位置にセットし、次の事業所へと向かうためあわただしく退出しようとした彼の腕を、一人の利用者様が素早くつかんで言った。
「シャチョーさん、私ね、ここが好きだから、(利用回数を週)一回増やしたのよ、ここが大好きだから。」
一瞬真顔になった理事長は床に膝をついて頭を深々と下げた。
「この事業所は毎日の、みなさんお一人お一人のご利用の積み重ねで成り立っています。ありがとうございます。どうぞみなさん、これからも末永く、よそ見せずにこのやまねこデイサービスをごひいきに願います!」
ホールはわあっという歓声と、割れんばかりの拍手に包まれた。