急ぎの書類を届けにグループホーム虔十を訪ねると、事務室でNPO法人なごやかの理事長とY管理者が話し合いの最中だった。
私は遠慮しようとしたが、理事長は別に聞かれて困る内容ではないから、と事務イスを指し示して座るよう促した。
先日の台風の夜、Y管理者は前日から長期研修で県都S市へ出ていた。
風雨が強くなってきて、テレビなどでも各地の避難勧告や指示が報じられ始めたことから、川沿いにある姉妹事業所を心配して理事長に電話したところ、こちらは全然大丈夫だから引き続き研修を頑張りなさい、という答えだったそうなのだが、その後帰園してから私が作成した避難時の報告書を回覧して、自分が蚊帳の外に置かれたと激怒していた。
面長の顔は怒りで青白くなり、目の中には炎があった。
「そうではないのだよ、あの時もし、今まさに避難を開始したところだなどとうっかり話してしまったら、きみのことだ、どんなことをしてでも、帰ってくるだろう。
なにせ僕は大震災の際のきみの無茶ぶりをつぶさに見ているから。
きみは利用者様と職員たちのためとなると恐れることを知らない。
マーシー(慈悲)のボリュームが、他者とは比べ物にならないほど大きいのだ。
だからこそ心配で、優しい嘘をついた。わかってくれるよね。」
長い沈黙のあと、彼女は頷いた。
「でも、次からは本当のことを教えてくださいね。
理事長はいつも自分一人で解決しようとなさいますが、私にもきっとできることがあると思うのです。」
そして私の顔をちらりと見た。
私はふと思った、あの日Y管理者が市内にいたら、理事長は私へ最初に相談してくれただろうか。
けせもい市の老人福祉センター、福寿荘が老朽化のため廃止されるのに伴い、これまでそちらで開催されていた高齢者向けの各種レクリエーション教室は市内各所の公民館等に振り分けられることになった。
それがあろうことか、母が週一回通う水彩画教室は、僕が東日本大震災発生時に居たやすけく公民館へ移転するという。
やすけくは大津波とその後の火災で全壊し、高層の災害公営住宅と合築・併設する形で跡地近くに再建されている。
どうしたらいい?
毎週、絵具箱をトートバッグに入れていそいそと出かけて行く高齢の母親に、あそこは危険だから行くなと言うべきなのか。
数少ない日常の楽しみを取り上げてしまっていいものなのか。
僕自身は、やすけくで行なわれる各種会議はなんだかだ理由をつけて、ほとんどサボっている。
併設する災害公営住宅が津波避難ビルに指定されているが、あの大きな揺れではエレベーターは確実に停止するだろう。母は足に金属が入っているので、階段は1フロアも登れないだろう。
災害発生時に僕が市内にいて駆けつけられるとは限らない。
降ってわいた災難に、迷いが止まらない。
桜餅は父の好物だった。
私はというと、名前に桜の字が入っているものの、粒あんが苦手で食べなかった。
なんだ、せっかくのミオ餅を食べないのか、と父はいつも私をからかった。
献体した父は墓も、仏壇も、位牌も、戒名もない。
そういったものを一切拒むようにして立ち去った。
ときどき私は桜餅を買い、それを小さな津軽びいどろの皿にひとつ載せ、父を悼む。
なんだ、食べもしないのにどうしたのさ、と夫がきまってけげんそうな顔で尋ねてくる。
ああ、ホントに。
不動産の売買契約を結んだ。
不動産屋(呼び捨てにするのは僕も同じ宅建主任者だからだ)に着いて間もなく、売り主もやってきた。
売り主も不動産屋だ。
18年前に一度取引をしたことがある方で、今日の物件はその隣りだった。
しばらくです、ご無沙汰してしまって、と立ち上がると、急にひどいめまいに襲われ、床にひっくり返しそうになった。
幸い、大きく体勢を崩しながらもなんとか踏みとどまったのだが、とにかく恥ずかしくて、書類に押印しながら僕にしては珍しく、言い訳話を始めた。
大震災後、ショックだったのかめまいと耳鳴りが止まらなくて。
「井浦さんはあの時どこにいたのですか?」
「(大きな漁船が打ち上げられてニュースでもたびたび取り上げられた)鹿折地区の公民館で会議の最中でした。」
あー、と相手はため息をついた。
私は南郷地区の事務所にいたのですが、鹿折地区には自分の賃貸物件がたくさんあってね、それが全部流されて無収入になった上に、会社も流されて無職ですよ。あの日からすっかり変わってしまいました、、。」
やめればよかった、と心底悔やんだ。
東北の被災者の気持ちがいつまでも癒えないのは、自分も大変だったけれど、もっと大変なひともたくさんいる(いた)のだから我慢しなくちゃ、と抱え込んでしまうからだ。
たまに見かける、あの時あれをやった、これもやったとおのれのスーパーマン自慢ができる方々は幸せだな、と思う。
別れ際、こんな状態ですからもう引退しようと考えています、と話すと、いやいや、思いがけず二度ご縁があったのですから、三度目があるように、お仕事頑張って続けてください、と励まされてしまった。
本当に恥ずかしかった。