ほぼ同年齢の年金生活者による読者投稿(12/23朝日朝刊)。詳しいことはわからないが、妻から夫に対する不満は我慢するしかないと綴る。当然、夫も読むだろう新聞に投書する気持ちが悲しい。この投書に何一つ意見は無いが、身震いするようなわびしさが残る。
これを読んだ後、「日々、われらの日々~鉛筆画家 木下晋 妻を描く~」(12/21放映のETV特集)の録画を見る。夫を支え続けた病の妻を描き続ける夫。絵からも、暮らし方からも夫婦という不思議な縁を思う。
脈絡なく、「祈る」という言葉が浮かび、ある詩文を思い出す。
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青山は私を見て無言で生きろという
蒼空は私を見てさりげなく いきろという
むさぼる心を捨て 怒りからも解脱して
水のように 風のように 生きていけと
(茨木のり子著『一本の茎の上に』にある韓国ハングル文字の詩文)
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宗教にも、神にも縁が無いというか、信じることのできない人間は、どんな魂なら心静かに暮らすことができるのだろうか。今読んでいる『燃え上がる緑の樹』(大江健三郎著)がこの問題に正対させる。難解な本だが読み続けている。
前に生死の境を意識した時、ママヨさんが教えてくれたのが、前述の韓国の四行詩。これを声に出さないで病室から見えるガラス越しの空に向かい、繰り返し繰り返しただただ唱えていた。ああいうのが祈りというものなのかなあ。