藤沢周平『風の果て』は、太蔵が原に水を引き、5000町歩の稲田を拓く話が背景になっています。太蔵が原は、水さえ引ければ豊かな実りが約束されているのですが、うかつに水路を引くと、鉄砲水を引き起こし、災害の元になってしまいます。そのために、オランダ流の技術(*1)を身に付けた若い町見家の田口半平が登場し、この工事の成功によって、隼太は出世街道を上りはじめるわけですが、実はこの堰工事にはモデルがあったようです。
私も、はじめのうちは米沢の上杉鷹山の時代に作られた、黒井堰や穴堰あたりがモデルかと思っていたのですが、実は庄内にあるのだそうです。それがこの天保堰(*2)です。
(*1):当時のオランダは、低地河川改修の技術は優れたものがあったようですが、山間部のトンネル技術などはどうだったのか、疑問もあります。これは、あくまでも蘭学を通じて入って来ていた西洋の測量技術と理解するべきでしょう。『京都インクライン物語』と『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』~「電網郊外散歩道」より
(*2):『風の果て』作品の舞台~asahi.com
地元鶴岡市の「藤沢周平文学愛好会」の松田静子さんが、「水の恵み」と題して、この天保堰のことを紹介(*3)しています。
(*3):藤沢周平・書籍作品あれこれ「水の恵み(2)」~松田静子さん
「風の果て」については、以前コメントをいただいたこともある「たーさん」の充実した「藤沢周平データベース」に、興味深い文章(*4~*6)が掲載されております。
(*4):『風の果て』の年代~たーさんの藤沢周平データベースより
(*5):『風の果て』の五日間~たーさんの藤沢周平データベースより
(*6):『風の果て』市之丞の真意~たーさんの藤沢周平データベースより
いずれも、たいへん興味深いものばかり。最後の「市之丞の真意」については、一蔵を殺害したことをひきずっている市之丞が死病に罹ったことを自覚し、「どうせ死ぬならあいつの手にかかって」という気持ちがあったように思います。偏屈な市之丞には、友を殺した自分と同じ悔いを、隼太も味わうようにさせたい、という意地悪な気分もあったかもしれません。
私も、はじめのうちは米沢の上杉鷹山の時代に作られた、黒井堰や穴堰あたりがモデルかと思っていたのですが、実は庄内にあるのだそうです。それがこの天保堰(*2)です。
(*1):当時のオランダは、低地河川改修の技術は優れたものがあったようですが、山間部のトンネル技術などはどうだったのか、疑問もあります。これは、あくまでも蘭学を通じて入って来ていた西洋の測量技術と理解するべきでしょう。『京都インクライン物語』と『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』~「電網郊外散歩道」より
(*2):『風の果て』作品の舞台~asahi.com
地元鶴岡市の「藤沢周平文学愛好会」の松田静子さんが、「水の恵み」と題して、この天保堰のことを紹介(*3)しています。
(*3):藤沢周平・書籍作品あれこれ「水の恵み(2)」~松田静子さん
「風の果て」については、以前コメントをいただいたこともある「たーさん」の充実した「藤沢周平データベース」に、興味深い文章(*4~*6)が掲載されております。
(*4):『風の果て』の年代~たーさんの藤沢周平データベースより
(*5):『風の果て』の五日間~たーさんの藤沢周平データベースより
(*6):『風の果て』市之丞の真意~たーさんの藤沢周平データベースより
いずれも、たいへん興味深いものばかり。最後の「市之丞の真意」については、一蔵を殺害したことをひきずっている市之丞が死病に罹ったことを自覚し、「どうせ死ぬならあいつの手にかかって」という気持ちがあったように思います。偏屈な市之丞には、友を殺した自分と同じ悔いを、隼太も味わうようにさせたい、という意地悪な気分もあったかもしれません。