自分の得意分野以外の領域では、子供向けの本がわかりやすく重宝することが多いものです。今回、図書館から借りた、ポプラ社の「10代の教養図書館」シリーズ中の一冊、那須田務著『音楽ってすばらしい~古楽演奏による音楽の魅力の発見~』を読みました。古楽演奏に取り組むようになった経緯を、肩肘はらず率直に語る内容が、たいへん興味深くおもしろく感じました。
著者は、1956年に静岡県に生まれ、もともとはフルートを学ぶためにドイツに渡り、そこでフラウト・トラヴェルソ等を通じて、当時の古楽演奏に触れ、新鮮な魅力を感じるようになったのだそうです。
そういえば、フランス・ブリュッヘンやグスタフ・レオンハルト、あるいはクイケン兄弟などの古楽の潮流に、私もLP時代に接しておりました。SEON レーベルの、ブリュッヘン、ビルスマ、クイケン兄弟、レオンハルトらによる「ブランデンブルグ協奏曲」などを入手しておりましたが、正直なところ、妙な響きでジャカジャカ賑やかな演奏だな、という程度の認識しか持っていませんでした。ところが、アーノンクールのモーツァルト「交響曲第39番」の演奏を聴いたことや、当地の山形交響楽団が、「アマデウスへの旅」というタイトルを掲げてモーツァルトの交響曲全曲演奏に取り組み、しかも一部にオリジナル楽器とノン・ヴィヴラート奏法を取り入れて演奏するのを何度も聴く経験を経て、独特の澄んだ響きと、はずむようなリズム感の魅力を知るようになりました。
そんな時に読んだ本書は、ヨーロッパにおける古楽演奏の潮流がいかにして大きな流れになっていったかを示してくれました。とくに印象的だったのは、アンナー・ビルスマのエピソードでしょうか。彼は、国際コンクールに優勝しても、バッハの「無伴奏チェロ組曲」に退屈してしまいます。何よりも、音楽に飽きてしまうという危機に陥っていた、とのことです。そこへ、ブリュッヘンから電話が入ります。チェリストがいない、一緒にチェロを演奏してくれないか、というものでした。ビルスマは、ブリュッヘンやレオンハルトらと知り合い、古楽演奏と言う世界を知り、新しい出発をするのです。
大ホールに豊麗な音を響かせるための楽器と奏法が、レコード録音技術の進歩とレコード音楽産業の発展と共に世界中に普及した20世紀は、たしかに素晴らしい成果と遺産を残しました。でも、それがすべてではない。別の道もありうる。古楽演奏は、その一つの姿なのでしょう。なるほどと納得できる、またこの内容なら自分でもほしいと思わせる良書でした。
著者は、1956年に静岡県に生まれ、もともとはフルートを学ぶためにドイツに渡り、そこでフラウト・トラヴェルソ等を通じて、当時の古楽演奏に触れ、新鮮な魅力を感じるようになったのだそうです。
そういえば、フランス・ブリュッヘンやグスタフ・レオンハルト、あるいはクイケン兄弟などの古楽の潮流に、私もLP時代に接しておりました。SEON レーベルの、ブリュッヘン、ビルスマ、クイケン兄弟、レオンハルトらによる「ブランデンブルグ協奏曲」などを入手しておりましたが、正直なところ、妙な響きでジャカジャカ賑やかな演奏だな、という程度の認識しか持っていませんでした。ところが、アーノンクールのモーツァルト「交響曲第39番」の演奏を聴いたことや、当地の山形交響楽団が、「アマデウスへの旅」というタイトルを掲げてモーツァルトの交響曲全曲演奏に取り組み、しかも一部にオリジナル楽器とノン・ヴィヴラート奏法を取り入れて演奏するのを何度も聴く経験を経て、独特の澄んだ響きと、はずむようなリズム感の魅力を知るようになりました。
そんな時に読んだ本書は、ヨーロッパにおける古楽演奏の潮流がいかにして大きな流れになっていったかを示してくれました。とくに印象的だったのは、アンナー・ビルスマのエピソードでしょうか。彼は、国際コンクールに優勝しても、バッハの「無伴奏チェロ組曲」に退屈してしまいます。何よりも、音楽に飽きてしまうという危機に陥っていた、とのことです。そこへ、ブリュッヘンから電話が入ります。チェリストがいない、一緒にチェロを演奏してくれないか、というものでした。ビルスマは、ブリュッヘンやレオンハルトらと知り合い、古楽演奏と言う世界を知り、新しい出発をするのです。
大ホールに豊麗な音を響かせるための楽器と奏法が、レコード録音技術の進歩とレコード音楽産業の発展と共に世界中に普及した20世紀は、たしかに素晴らしい成果と遺産を残しました。でも、それがすべてではない。別の道もありうる。古楽演奏は、その一つの姿なのでしょう。なるほどと納得できる、またこの内容なら自分でもほしいと思わせる良書でした。