電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

50歳の作曲家たち

2011年09月18日 06時04分31秒 | クラシック音楽
シベリウスの交響曲第5番が、作曲家の生誕50年を祝う記念演奏会のためのものということで、50歳を迎えた作曲家たちの作品にはどんなものがあるのだろうと、調べてみました。

■J.S.バッハ(1685-1750) 50歳は1735年。前年にコーヒー・カンタータやクリスマス・オラトリオなどを作曲しており、この年はカンタータ「神われらと共になかりせば」、世俗カンタータ「響け、はれやかなラッパよ」が生まれています。
■ハイドン(1732-1809) 50歳は1782年。前年の1781年にモーツァルトと親しくなり、「ロシア四重奏曲」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲Op.33を作曲しており、1782年には、交響曲第76番から第78番、チェンバロ協奏曲などを作曲しています。
■ベートーヴェン(1770-1827) 50歳は1820年。フルートまたはヴァイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏Op.107、歌曲「かわいい子猫」など。ほとんど作品が生まれていない、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」(1818)から「ピアノソナタ第30番」や「ミサ・ソレムニス」(1822)に至る空白期です。
■ブルックナー(1824-1896) 50歳は1874年。前年にワーグナーと会見、交響曲第3番を献呈しており、50歳のこの年は交響曲第4番を作曲しています。
■ブラームス(1833-1897) 50歳は1833年。交響曲第3番が生まれています。
■チャイコフスキー(1840-1893) 50歳は1890年。フォン・メック夫人から財政援助を打ち切られますが、歌劇「スペードの女王」、交響的バラード「地方長官」などを作曲しています。
■ドヴォルザーク(1841-1904) 50歳は1891年。この年、プラハ音楽院教授に就任、ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」、序曲「自然の王国で」「謝肉祭」、スラブ舞曲ホ短調およびト短調などを作曲しています。ジャネット・サーバー女史からニューヨーク・ナショナル音楽院の院長就任の依頼があり、もうすぐアメリカに出発する頃です。
■マーラー(1860-1911) 50歳は1910年。交響曲第9番を完成し、第10番に着手しています。逝去の前年です。
■プロコフィエフ(1891-1953) 50歳は1941年。第二次大戦でドイツ軍の侵攻のためにトビリシに疎開しています。交響組曲「1941年」、歌劇「戦争と平和」、弦楽四重奏曲第2番などを作曲しています。
■ショスタコーヴィチ(1906-1975) 50歳は1956年。サンタ・チェチーリア芸術アカデミーの名誉会員に選出され、レーニン勲章を受賞しています。弦楽四重奏曲第6番を作曲。この年は、フルシチョフによるスターリン批判が行われています。

なるほど、こうして見ると、晩年を待たずに死亡したモーツァルトやシューベルト、シューマン等が惜しまれます。多くの作曲家がいずれも充実した作曲活動を展開している年代に、ただ一人ベートーヴェンの不振がやけに目立ちます。厄年という言葉がぴったりと当てはまるようで、時代に忘れられそうになりながら、自らの健康の不調や身辺のゴタゴタに悩まされていたのでしょう。思わず同情してしまいます。

コメント