文春文庫で、宮城谷昌光著『管仲』下巻を読みました。運命のいたずらで敵味方に分かれることとなってしまった鮑叔と管仲が、斉の君主を覇者とするまでを描きます。
斉の老王が逝去し、太子諸睨が即位して襄王となります。ところがこの王は、どうもあまり出来がよろしくない。父の服喪をおろそかにするわ、軍事に独断専行するわ、民の信望は集まりません。それどころか、襄王は辛い人質生活を送った鄭に復讐するとともに、異母妹の文姜が忘れられず、嫁ぎ先の魯君から取り戻そうとします。どうもこういうレベルですから、なんともしょうがありません。では、召忽と管仲が補佐する公子糾が良いのか、それとも鮑叔が補佐する公子小伯が良いのか。
王の悪政に対する態度が、召忽と管仲が補佐する公子糾の場合は、ひたすら従順にしたがうというもので、民の目には王の悪政を黙認したと映ります。ところが、鮑叔が補佐する公子小伯のほうは違いました。わずかな主従とその家族が、きれいさっぱりと跡形もなく消えてしまったのです。これは、弟として、公子として、反逆はしないが悪政を黙認もしないという、無言の批判でした。当然のことながら、民の信望は公子小伯に集まります。公子糾の家宰として、管仲は焦りますが、傅の召忽は顧慮しません。
結局、襄王の死によって空位となった王の席に、公子糾と公子小伯のどちらが着くのか、というぎりぎりの瀬戸際で、鮑叔の適切な判断が光り、公子糾の側は召忽と管仲の不一致がたたります。それにしても、管仲によるライバル公子暗殺作戦はいかがなものか。これはやはり、鮑叔のほうの勝ちでしょう。
とは言うものの、公子糾の処刑と管仲・召忽の引き渡しを求めた戦後処理も、たいそう厳しいものです。だからこそ、管仲を宰相にするという大抜擢が光ります。鋭利な刃物のような大きな才能を生かしつつ使うことができるのは、良き理解者と良き主君があってのことなのでしょう。
○
管仲の為政者としての記述はごく簡潔なものとなります。このあたりは資料の不足なのかそれとも小説としてのドラマ性の不足のためなのでしょうか。文庫本二冊という入れ物の中に、「管鮑の交わり」と「運命の一矢」を軸に描いた、読むにはちょうど手頃な長さの佳編です。
斉の老王が逝去し、太子諸睨が即位して襄王となります。ところがこの王は、どうもあまり出来がよろしくない。父の服喪をおろそかにするわ、軍事に独断専行するわ、民の信望は集まりません。それどころか、襄王は辛い人質生活を送った鄭に復讐するとともに、異母妹の文姜が忘れられず、嫁ぎ先の魯君から取り戻そうとします。どうもこういうレベルですから、なんともしょうがありません。では、召忽と管仲が補佐する公子糾が良いのか、それとも鮑叔が補佐する公子小伯が良いのか。
王の悪政に対する態度が、召忽と管仲が補佐する公子糾の場合は、ひたすら従順にしたがうというもので、民の目には王の悪政を黙認したと映ります。ところが、鮑叔が補佐する公子小伯のほうは違いました。わずかな主従とその家族が、きれいさっぱりと跡形もなく消えてしまったのです。これは、弟として、公子として、反逆はしないが悪政を黙認もしないという、無言の批判でした。当然のことながら、民の信望は公子小伯に集まります。公子糾の家宰として、管仲は焦りますが、傅の召忽は顧慮しません。
結局、襄王の死によって空位となった王の席に、公子糾と公子小伯のどちらが着くのか、というぎりぎりの瀬戸際で、鮑叔の適切な判断が光り、公子糾の側は召忽と管仲の不一致がたたります。それにしても、管仲によるライバル公子暗殺作戦はいかがなものか。これはやはり、鮑叔のほうの勝ちでしょう。
とは言うものの、公子糾の処刑と管仲・召忽の引き渡しを求めた戦後処理も、たいそう厳しいものです。だからこそ、管仲を宰相にするという大抜擢が光ります。鋭利な刃物のような大きな才能を生かしつつ使うことができるのは、良き理解者と良き主君があってのことなのでしょう。
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管仲の為政者としての記述はごく簡潔なものとなります。このあたりは資料の不足なのかそれとも小説としてのドラマ性の不足のためなのでしょうか。文庫本二冊という入れ物の中に、「管鮑の交わり」と「運命の一矢」を軸に描いた、読むにはちょうど手頃な長さの佳編です。