ユダヤ人の少年が疎開先の叔母の家から過酷な状況で放浪し、アウシュビッツから生還したかのような父親に再会するまでの物語だ。少年の遍歴と様々な村人との出会い、ソ連軍と共にしたエピソードも含めて、興味深い。
東欧とおぼしき地域の人々の生きざまと少年の異端者としての立ち位置の軋みの中で物語はエピソードが並ぶ形で流れる。モノクロの画像のインパクトがある。
戦争の過酷さを少年の目線から描いた小説の映像である。
モノクロの映画は詩的な雰囲気がある。東欧の村人の戦時中の生きざまが、敵意やアナーキーな空気、どこでも異端な人々の存在があり、ミステリアスな領域があり、異端者を迫害し、追い払おうとする民衆の、共同体の壁があり、人々の生存競争のつつましさや、異常との共存もある。人間のあらゆる属性があぶり出されるような、暴力は男女の間に、集団と個の間に露骨に表れている。国と国の戦争、内部の民族浄化の殺戮、死者の持ち物にハイエナのように群がる民衆の姿。愛らしい赤子を抱いた母親もナチは容赦なく殺害する。
人を殺すことが普段着のようになされる狂気の時を過ぎていく少年の心身は、受けた傷の深さはどう癒されるのだろうか。少なくとも少年は父親に再会できた。それが唯一の救いとして描かれていた。
自分の名前さえ消され、忘れさせられた時があったのだ。助かった命は奇跡のような命そのものだった。戦争を生き延びた人々は活かされた命をまた生きていく。崩壊し瓦礫の山となった街は再建されていった。生きるとは死ぬとは、再建とは何だろう。普段着の日常がある日突然渦巻に襲われて、不条理の闇に落とされる。
戦争は、集団殺りくはなくなることがない。人類社会の機能のシステムとして不可避なものだろうか。常に犠牲を伴う人類史の弁証法だろうか。類としての人類の進化は、犠牲とカオスを織り込みつつ突き進む原理を包摂しているのだろうか。集団の狂気はいつでも起こりえるのだ。
普段着の狂気(暴力)もある。まさに嵐のような狂気(暴力)もある。何らかのゴール(目的)のために人は互いに殺しあう。怪物は身近に存在する。屹立する美しい魂の存在もある。悪と善が手を取り合っている。
修羅と平安も共にある。
についてはネットでいい解説が並んでいる。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
第32回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門では「ペインテッド・バード」のタイトルで上映された。(wikipedia)
それにしても映像がいい。眼が印象的だ。顔の表情、眼の表出にインパクトがある。また各エピソードに登場する俳優たちの演技や表情が魅惑的だ。