志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

近世琉球は270年間、近代は66年間、戦後69年!近世が長い!〆切までに書こう!

2014-09-10 13:17:54 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

         (進行船を迎える祝祭の場に紅衣のジュリが三線を持って迎える!)予祝ですね!

祭祀芸能、表(公)の芸能、そして裏(不可視)の遊里の芸能、があり、ジュリの女性たちの芸能が見えない近世だが、実は見えてきた!徹夜体制でとにかく、仮にもまとめることを命題に、厳しい闘いが続く。一つをクリアしたら、何とか、と思いつつで、ツイターもブログも時間が取れない。

確かに都市論は面白いがー辻村である。中島も村だった。渡地は古来から港にあった宿場(出会いの場)だったんだね。都市の中心はエロティシズムというコンセプトはなるほどで、出合い(出会い)が中軸になる。出合って拡散して、権力に対峙する空気がそこに造成されもする。なるほどです。

近代は祭祀芸能、民俗芸能、大衆芸能、遊郭の芸能が競っている。祭祀芸能はそれぞれの村々の祭祀芸能だから民俗芸能の中に入れてのいいのかもしれないね。王を失った城があり、もはや宮廷芸能ではなくなった組踊や古典踊りがある。仮説をたてるのはいいが、実証データーが試されるね、士族層の殿内よりも遊里で組踊も端踊りも頻繁に踊っていたのだね!二才踊りも!何しろ薩摩の在番の御命令で!

男たちの表の芸能と女たちの裏、根の芸能でも分離は可能だ。戦前村芝居、村踊りから女は排除されていた。ジュリたちの芸能は日常の世界だった!彼女たちの中で脈打ってきた芸能は実は表よりも、底力があったともいえる。表(公)の男だけの芸能が、鏡の虚像でありえる。実は日常の中に女たちこそが同じ表芸を取り込んでいたと仮説は立てられる。芸能でも「うない神」は、男たちをたててきたのかもしれないね。しかし彼女たちの手のひらの上で踊っていた表(公)の男芸だったのかもしれない?!

たまさかの表芸のお稽古をやった貴公子たち?日常がハレの舞台で演じたジュリのみなさん!?儒教道徳の影の女たちの芸能史がしっかり流れているのかもしれないね。男たちの論理はんんん、建前が多、ぎりぎりの外交芸能!とつぶやき!!でも19歳で亡くなった尚温王の言葉は胸に沁みこんできますね。冊封副使李さんの使録もいいですね。


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