2012年2月8日、韓国木浦大学での講演要旨 野村伸一「海の民俗伝承と祭祀儀礼―東方地中海地域の蛇・龍・龍王(含水中孤魂)と船の来往」 (転載、謝!キンマモンについて知りたかったので、備忘録です!)
東方地中海(東シナ海)地域の海の民俗伝承と祭祀儀礼は蛇・龍・龍王(含水中孤魂)と船の来往で特色づけられる。それはこの地域の基層文化を根柢から支えてきた。しかし、それがあまりにも広範にわたるため、全体像が見通せない。それが現状である。
以下は三章からなる。第一章は全体像に迫るための分類である。それは蛇の祭祀からはじまり、龍、龍王、水中孤魂、蛇(神)の来訪などに到る。第二章は、船の来往の根柢には蛇、龍、龍王があることを事例に基づいて提示した。第三章はまとめである。
一 枠組
以下のように枠組を設定した。(8頁、図版「東方地中海地域の蛇祭祀の枠組」参照)。
1.蛇の祭祀
1)始祖としての蛇(蛇種、閩人、「南蛮」)
『説文解字』によると閩人や南蛮の人びとは「蛇種」(蛇の末裔)である。それは蛇と密接な関係を持って暮らしていたことを意味する。そうした基盤の上に女媧に代表される人頭蛇身の神が祀られる。この神は女性性が濃厚である。
2)蛇体の海の神 ・水の神
蛇は船・船人を守るという伝承がある。その蛇は木龍とよばれた(清代『海上紀略』)*1。
3)綱引き、綱引きずり
鹿児島県の南部海岸地域には正月に綱を引きずり、担ぎ巡る民俗が多い*2。これは海からくる龍蛇の象徴である。正月十五日に蝟島でおこなわれた主山巡りも同様のものである。
2.女神としての蛇、龍、鰐魚
1)蛇体の始祖女神(侗族) 祖婆は祖神であり、青蛇でもある(『序説』)。
2)蛇体の海神(ケヤンハルミ*3、宗像女神*4)
3)龍または鰐魚のかたちの女神(トヨタマヒメ〈日本古代神話〉)
4)龍母(広東省西部、広西省で)。龍女(『華厳宗祖師絵伝』(13世紀)の善妙)。
3.海の観音
海の観音の故地は南インドPotalakaにある。補陀落、補怛洛迦と表記される。紀元三百年ごろ、交易をする航海者は補陀落山の観音を海上守護の菩薩として信仰しはじめた*5。それが浙江省の普陀山島に伝わった。東方地中海地域では観音以前に女性の蛇神がいて、船を守っていたため、観音信仰は容易に受容された。そして、普陀山の観音は白衣の女神としてえがかれていく。この白衣観音が江南を経て百済、さらには日本*6に伝わった。
さらに宋元以降、観音女神の末裔ともいえる媽祖や臨水夫人などの女神が誕生し、信仰されていく。
4.龍輈(りゅうちゅう)(引魂の船)*7 龍・龍船と死者とのかかわりは仏教以前からある。長沙馬王堆漢墓出土棺衣(『序説』)。
5.男神としての龍王
1)禺虢(黄帝の子、『山海経』大荒東経)
黄帝の子で、「珥両黄蛇、践両黄蛇」、東海の海神となる。王室の祖としての龍。
2)蛟龍
「大魚蛟龍」「悪神」(『史記』始皇本紀)。また文身の原像(『淮南子』原道訓、高誘注)。
3)四海龍王 唐代に国家祭祀の対象となる(『序説』)。
4)龍王廟(浙江省島嶼部)
5)民俗戯 龍灯、龍舞、龍船のあそび・競漕。龍頭の行進(福建省晋江)
6)仏教の龍王 正負両面の龍衆(護法、餓鬼・畜生を包摂する者)(『序説』)。八大龍王→これらのことから、龍王と死者とのかかわりが生じる。
→観音菩薩の配下としての龍王(「目連戯」)
→道教(閭山教)の法具としての蛇(法縄)
7)朝鮮海辺の龍王
「龍王さまをお迎えしよう…四海八方 龍王さまをお迎えしよう 八龍王よ 九龍王よ…魚を捕るには 龍王さまをまずはお迎えしなければならない」*8
豊漁、雨、地域の豊饒をもたらす。同時に水中孤魂を従える。
8)琉球の龍宮(龍宮神) 豊漁。潮花(シバナ)(水死体をまつったもの、沖永良部*9)を含む。
9)日本のエビス 豊漁将来。水死体もまたエビスとされる。
6.訪れる蛇、龍
1) 沖縄のキンマモン
海底より毎月出現して託言し、拝林に遊ぶ(『琉球神道記』)。蛇体。君真物は女神(伊波普猷*10)。来訪する蛇神。
2) 現在のウンジャミ(海神祭)は君真物の祭(伊波普猷*11)
二 船の来往
船は第一義的には人が乗って移動するものである。しかし、古来、人びとは、船には神あるいは神霊、死者霊が乗ると信じてきた。東方地中海周辺地域に限ってみても、古代の舟棺、龍輈(りゅうちゅう)(引魂の船)などをはじめとして、その使用の歴史はたいへん古い。ここでは、この地域における船の来往に関して、若干の事例を挙げておく。それらの民俗は互いに関連を持つ。そのことを事例を通して述べたいとおもう。
1.沖縄ウンジャミ(海神祭)の神の到来と船
1)沖縄本島北部のウンジャミ(海神祭)
沖縄本島北部ウンジャミでは海の神の到来は象徴的な船(縄の船)で表現される。それを「縄あそび(ナーアシビ)」という。比嘉によると、この儀礼は、ニライからきた神を海の彼方に送るさまを表している。すなわち儀礼中の神歌に「海の潮が満ちてくるので、急いでニライ・カナイの神を送ろう」という内容がみられるという*12。
ただし、実際の船による競漕ももちろんある。しかし、去っていく船はこころのなかにあるだけのようである。
2)伊良部島の浜神(ひだがん)(海の神=龍宮神(りゅうきゅうぬかん))願(にが)い
これは航海安全と豊漁祈願の祭儀。漁家の女性たちは年に2回(2月、11月)、浜辺に正座し、豚や酒を供え、ヒダガンに祈りを捧げる。ここでは船はみられない。
2.済州島の神霊の到来と船
1)龍王(ヨワン)迎え(マジ)
済州島の龍王迎えは海で死人が出たときと、豊漁祈願のときと二通りある。龍王は海岸の険しい道を通って集落に到来する。この祭儀では神房は道を均し、神を迎え、送るまでの様子を表演する。龍王の来往に伴う船は通常はみられない*13。
2)天然痘の神夫人(マヌラ)の拝送(ペソン)。
済州島や朝鮮半島各地の巫歌によると、天然痘の神(男性神もあるが、もとは女神か)は船に乗って往来する。かつて済州島の神送りでは小さな籠のようなものを用いた。一種の船である。
3)ヨンガム(災厄招来の鬼神)の来往
令監(ヨンガム)(雑鬼(トッケビ)の尊称)の巫歌によると、彼らはもとはソウルの富裕な家の息子たちであった。末弟は、遊び人で各地を漂泊している。そして、済州島にきては女性に取り付いて病を引き起こす。災厄神である。ところが、歓待すれば豊漁など、サチをもたらす*14。そこで、海辺の人びとは、これを酒肴でもてなして送り返す。そのときに模造の船が使われる。なおチルモリ堂の放船では、人びとが沖合まで船に乗って出ていき、藁船を流すこともした(図版参照)。これは全北蝟島のばあいと似ている。
3.朝鮮半島沿岸部の神霊の到来と船
1)黄海道瓮津の茅船(ティベ)
茅船には随陪(スビ)、霊山(ヨンサン)などの雑鬼雑神(案山子(ホスアビ)で象徴)が乗る。ここに地域の災厄、供物を載せて海に流す。霊山(ヨンサン)は爺さん、婆さんの仮面を頭につけて現れもする。これらの神霊は人間に限りなく近い者である。
2)全羅北道蝟島の茅船(ティベ) 瓮津の茅船と基本的に同様である。災厄、それをもたらす雑神を伴って龍王のいるところに帰っていく。
3)釜山・東海岸の龍王(ヨンワン)クッ
朝鮮半島沿海部では、どこでも龍王を迎える前に水中死者霊を先ずまつる。海岸には死者供養の膳が並ぶ。龍王像が形成される以前、死者霊とその統括の神は未分化の存在だったのだろう。なお、別神クッにおける龍王クッでは模造船は用いない。
しかし、大規模な別神クッでは、末尾に花の唄・船の唄の祭儀がなされる。龍船を曳くことは死者霊のあの世入りの表現である。これは死霊祭オグクッでは欠かせない。巫歌によると、龍船には法華経と菩薩が伴う。これは東方地中海地域の祭儀における船の出発点を示唆する(後述「まとめ」参照)。
4.台湾の神の来往と船
1) 王爺(王爺を乗せた船)
王爺は元来は瘟神である。閩南ではこれを船に載せて流すだけでなく、漂着した王爺の船を発見すると、畏怖してもてなした。そして、その供養が肥大化すると、王爺廟の建立となり、王爺そのものが地域の安寧を司る神となっていく。こうした民俗は福建省の晋江にかつて顕著であった。今日では、台湾の南部から中部西海岸にかけて広くみられる*15。
2) 盂蘭盆の法船
台湾の盂蘭盆会では無祀孤魂の普度が盛大におこなわれる。餓鬼供養である。このとき法船が作られる。法船は霊魂の西方浄土入りを願って焼却される。
5.中国の祭儀の船
1)船上の龍の祭儀(長沙楚墓出土、女子祈祷図)
龍舟は祖先がよこしたもの、死者の霊魂を迎えて祖先の地に連れていく(林河)*16。
2)龍輈(引魂の船) 青龍と赤龍が死者の霊魂を運ぶ。
6.仏教・巫俗の般若龍船
1)寺院の壁画にみられる般若龍船
中国仏教が死霊済度儀礼に龍船を取り込んだ。葬礼での龍船の使用は仏教以前の民間祭祀とみられる。
2)目連戯末尾の普度にみられる龍船
3)巫俗シッキムクッにみられる龍船
シッキムクッやオグクッにみられる模造の龍船は仏教における般若龍船を受容したものとみられる。
三 まとめ
各地の神霊の去来とそれに伴う船の用法を瞥見すると、次のことがいえる。先ず、「1. 船を伴わないかたち」「2. 船を媒介とするかたち」のふたつに分けられる。そして後者のばあいには、それがさらに細分される。
1. 船を伴わないかたち
原初的な海神は蛇体である。これを龍、鰐魚と表現したものもある。その来訪は船を伴わない。沖縄の君真物、日本神話のトヨタマヒメ(龍、鰐魚)、また済州島や朝鮮半島沿海部の海の女神ケヤンハルミなどはその例である。神みずからが水棲のものなので船は不要である。
なお、朝鮮半島南部、済州島の龍王については、船に乗って来往するのか否か、曖昧さが残る。元来龍王の来往は船を伴わなかったとみられる。しかし、配下のトッケビの来往に伴い、龍王が同乗するように考えられもしたようである。
2. 船を媒介とするかたち
1)象徴的な船
縄による舟形(沖縄のウンジャミ)。模造の船の原初形態である。
2)具体的な模造船
海神、龍王の配下に位置付けられる疫神、瘟神、鬼神の類いは模造船に乗って来往する。この船は済州島や朝鮮半島西南部の放船、閩南の王爺送りの船にみられる。また盂蘭盆や死霊祭などの際に来往する死者霊の乗った船もこれに該当する。こうした神霊は、いずれも人間に近い存在である。
3)死者霊を送り出す船
古代の船棺。龍船(沅湘地方の古越系民族)。仏教法会の末尾における般若龍船。仏教の影響を受けた巫儀における龍船(珍島)。
以上を通して、まとめると、次のようになる。
1. 蛇、龍の来往は船を伴わない。
2. 祭祀における船は元来、神の来臨の道具ではなかった。
3. 祭祀における船は死者の霊魂、鬼神を送り出す乗り物だったとみられる。
4. ところが、人間に近い神霊は故地(家)に戻りたがる。そのため、来訪の船が用意された。
5. 故地における一定の滞在期間を経た神霊は、その本拠地(他界)に帰っていく。そのとき、船が必要であった。盂蘭盆、中元節における模造船はそれを示す。台湾では法船、日本では精霊を送り返す精霊船が顕著*17である。
6. 以上のことから、祭祀の船は、往、来、往をくり返すこと。これは実は人びともまた古来、そうであった。船に関していえば、神霊よりも人の移動が先にあったといえるだろう。海外移住を試みた人びとは帰郷を願い、戻ってはまた出ていった。東シナ海地域ではこれが春秋戦国の時代からくり返されてきた。
*1 野村伸一『東シナ海祭祀芸能史論序説』、風響社、2009年、242頁。以下『序説』と略記。
*2 小野重朗『十五夜綱引の研究』、慶友社、1997年(増補版)、224頁以下。
*3 水聖堂のケヤンハルミについて、その「頭はとぐろを巻いたようす또가리를 튼 모습」であったという民間伝承もある。これについては宋華燮「西海岸海神信仰研究」『アジア海洋と海洋民俗』(国際学術大会)、木浦大学島嶼文化研究所、2003年、78頁参照。
*4 宗像氏ほか古代の海人は海蛇を祖先としてまつっていたとされる(『序説』、258頁)。
*5 松本文三郎「観音の語義と古代印度、支那におけるその信仰について」速水侑編著『観音信仰』民衆宗教史叢書第七巻、1982年、8頁。
*6 九州西岸や五島列島などでは、キリスト教禁教とともに「マリア観音」が信仰された。それは「白焼仏立像」である(同上書、291頁)。白衣観音信仰の伝統の上にマリア信仰が習合したといえる。
*7 前引、『序説』、141頁参照。
*8 蔚珍地域巫歌、金泰坤『韓国巫歌集』1、集文堂、1971年、357頁。
*9 下野敏見「南西諸島の海神信仰」『国立民族学博物館研究報告別冊』3、国立民族学博物館、1986年、105頁。
*10 伊波普猷「君真物の来訪」伊波普猷『をなり神の島2』東洋文庫、平凡社、1973年、26頁、また、その蛇体については渡辺匡一「蛇神キンマモン」『文学』季刊第9巻・第3号、1998年夏、岩波書店参照。
*11 前引、伊波普猷「君真物の来訪」、32頁。
*12 比嘉政夫『沖縄民俗学の方法』、新泉社、1982年、116頁。
*13 ただし、ヨンドゥンクッにおいては、末尾に放船がある。この船にはヨンドゥン、龍王、船王(ソナン)(トッケビ、ヨンガム)が乗る。
*14 地域の堂神にされたものもある。玄容駿『済州島巫俗の研究』、第一書房、1985年、302頁。
*15 前引、野村伸一『東シナ海祭祀芸能史論序説』、103頁。
*16 同上、154頁。
*17 サチをもたらす宝船もある。台湾中元節に流される舟形の灯も霊の到来を祈るためのものである。