志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

見たい舞台が目白押し!でも見れない!研究棟ごもり!奄美は行かなければ!

2016-02-27 20:05:15 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

(この科研の研究目的にはジュリの移動と異文化接触【hybridity, fluidity 「八月十五夜の茶屋」の事例)も入っている。しかし、十分そこを彫ることはできなかった。異文化接触は沖縄の場合鍵概念だと考えている。つまり前の科研のテーマをまだ引きずっているのが事実である!ただ異文化接触に関してはもう世界的現象で人は移動しあっている地球環境ゆえに、内外でそれが起こっているともいえる。新たな社会現象や事象とどう取り組むか、問われ続けているのだね!)

報告書の冊子、仲村論文が79ページで目玉だが、学生が抜き出したデーター「遊廓の料理や衣装など」の確認と以前の「花染ぬ手布」(手巾のイメージより布のイメージがしている)をもう少し手をいれて収録したい。歌劇の作品論にもっと手を入れないといけないところ、時間は明日一杯で家に帰らず籠もっている。

Corel VideoStudio X7が起動しないのでそれだけで時間がかかっている。ジュリの中でも官選ジュリの美しい女性たち、いわゆる「分ジュリ」や「おかいやジュリ」の美しかった女性たちの立ち姿はどんなだっただろうか?それがイメージとして涌いてくる作品のDVDから静止画にしょうとするが、CPRELが起動しないのである。やれやれ、しかし、あった!まったく現在と異なる立ち姿が残されていた。ささいな所作に見えるがそれが絶対的なイメージを結んでいる。

「丘の上の一本松」の再演、北島角子のアンマ役で弾みがつくだろうと予見はできるが、若い嘉数さんがどう70代の頑固親父を演じるか、息子良助が金城真次である。親子の絶対性=関係の絶対性の沖縄版の喜劇=人情物だから、小中高生にも受ける芝居である。頑固親父と親の心しらない息子、劇的構造としての独白がうまく個々の心情を理解しあう物語の落ちになっている。北谷言葉は首里・那覇言葉とあまり差異がないので、聞き取りやすい。

この人情劇では女たちが脇役だが、重い荷物を担いだオバーが唯一のオバーの積極的な姿だが、それぞれの味のある演技が試されているね。←テレビディレクターから電話で依頼があり、インタビューを兼ねて舞台を見る事にしていたが、とうてい見れない状況でお断りした。ごめんなさい。関係の絶対性としての『親子関係』がポイントだと話した。親子関係=関係の絶対性の物語だから、その和解のドラマはウチナーの人情として生きていくということなのね。北島さんのアンマー役など観劇したかったが残念です。

他3月になると演劇が次々上演ですね。動けない身としてはつらいが今目先のことをやらなければ次のプロジェクトも組めない状況。スマートな方々のように効率的に物事に対処していくことができないもどかしさがある。とにかく29日朝までの約束を果さなければー。29日は、予算の締めでもあって、バタバタ状況かもしれない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。