志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

やっと修正論文を研究所に送った。そして敬愛すべき大城立裕先生にも!

2016-01-12 03:48:59 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

 【琉球王家の紋章の入った筝ですね】

再度60枚余の論稿を訂正し終えたところでそれをさっそく送りました。実証をどうするかなんですが、琉球・沖縄で最も古いお琴『楓』に関しては所蔵されていた屋部公子先生と二度電話でお話することができました。

感謝です。ご自宅にお尋ねして戦前戦後のお話をお尋ねしたいと思います。屋部先生とお話していて、お父様が伊礼 肇さんだということ、戦前京都帝国大を卒業されて弁護士でかつその後衆院議員をされていた方です。大田朝敷の養女だったお母様のお話を含め、とても興味深かったですね。近代が急にとても身近に迫ってきた感じでした。何しろあの大田朝敷さんは祖父のようなお立場なのです。

山里永吉さんが『首里場内の女たち』の中でその筝の『楓』について触れています。伊礼肇さんの名前が登場することに驚きました。伊礼千繪子さんがお母様ですね。女学生の時に筝を100円で購入されたのですね。伊波興厚さんも一時所蔵されて弾かれたことのある『楓』とのことですね。

その「楓」は尚灝王が辻の美らジュリに贈与された大切な物だったのですね。王位につかれる前に馴染みの深かった女性に譲られたわけですが、1800年初期にすでに遊里で歌・三線と筝は一緒に奏でられていたのですね。

芸妓は歌・三線、筝に秀でていた女性たちで舞妓は踊に長けていた女性たちですね。遊里の女性たちが王侯貴族と筝を奏でながら琉球音楽の夜なべを楽しんだわけですね。

琉球芸能の歴史の中で遊里・遊廓の女性たちが芸能者としてかなり活躍してきたことが解りました。

意外と第三者の視点は正直に捉えているのかもしれませんね。妙な自負心ゆえにあった、ありえた実像が歪められてきた歴史もあるのかもしれませんね。

さて朝9時には授業で午後は学生に返すべきものを調べまた授業、たいへんだ。しかし眼がさめてしまった。

 


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