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(「虎!北へ」の演出をする幸喜良秀氏と主演メンバーたち)
1974年に劇団潮で宮城亀郁さんが尚巴志の役で演じたのが初演である。琉球新報ホールである。新報ホールと国立劇場おきなわとは劇場としての差異は大きい。歌舞伎のような花道もある現代に再現された舞台は品よくできていた。きれいな史劇だった。2列目で見たが、脇役の漁師役川満香多もその妻知花小百合もリアルな演技で惹きつけた。ワキ役の民衆の役柄が生きている。木こりのスー、アンマーの阿嘉修、呉屋かなめ、そして今帰仁一の美人と評判の高いチラー小嶺和和佳子もいいね。チラーの恋人松ぁの大湾三瑠も三枚目をうまく演じている。いわば間の者のような百姓の姿がのびのびしている。一方で主役たちはどうかな?
尚巴志嘉数道彦、その息子尚忠・宮城茂雄、浦添按司・宇座仁一、三良・金城真次、名護按司・天願雄一、羽地按司・平田智之、国頭按司・石川直也、神女・座喜味米子、攀安知・普久原明、本部平原・高宮城実人、王妃・伊良波さゆき、側女・山城亜矢乃、語り部・玉城盛義である。臣下6人、侍女6人は劇団「うない」からである。総勢30人+語り部である。ウチナーグチへの翻訳・演技指導北村三郎、音楽新垣 雄。
大人数の若者たちが幸喜良秀演出で熱い舞台を演じたのだ。すでに幸喜演出の舞台で鍛えられた彼らの呼吸は十分演出家の情念を身体で受け止めたことが感じられた。作品の筋はよく知られた史実を基軸に据えているが、幾分物語の綾は金城哲夫ならではの色合いがある。南山、中山、北山と群雄割拠の時代、北山の優位性としてのエネルギー源山林が大きくせり出してきた。エネルギーの核が山林である。当時は薪が火の原料だったのだから、その首根っこを握られていたという物語の筋である。「山林伐採禁止令」が実際に当時あったかどうかは調べてみたい。しかし北山の領地から中山や南山が資源を勝ってに取ることは確かに禁じられていたに違いない。その辺の筋ののせ方が面白いと感じた。すべてはそこに絡んでくる。山林伐採が禁じられているゆえに漁民も船を壊す。木こりも本来の木こりの仕事ができない、という不満が物語の根に据えられている。北山の臣下の按司たちもまた今帰仁の禁じ手の前でうなっていた。資源の供給ができないと生活が困窮する、その点で今帰仁城の主を悪役に仕立てた。
物欲、色欲に溺れる傲慢な按司のキャラである。その横にいるのがおなじみ本部平原である。武勇に優れ片目を失った醜い男のイメージである。あらまぁー。本部はいい男ではなかったのか?その辺は極端でどうもだった。それから名高い今帰仁美女も登場しない。そのかわりに木こりの娘チラーである。今帰仁うかみと評判の女性が登場しないのはなぜか?金城の歴史認識の疎さだったのか?対して彼がもってきたのは今帰仁按司と妃(ウナジャラ)の夫婦仲の亀裂である。石女になった経緯と、側女に熱をあげる按司の姿に嫉妬に狂ったような正室の姿がある。極めて現代的な夫婦の諍いを見せる。そんなことがあっただろうか?妻は夫に従い文句ひとつ言わなかった時代ではなかったのか?などと疑問が浮かぶ。あらそうだったの?
尚巴志の企み、謀はうまくいく。騙しのテクニックである。智謀に長けていたという事と本部を寝返ら得させたことが大きな決め手となったがその手段が美しいチラーである。女を絡めた戦略・戦術は興味深い。しかし志慶真乙樽が出てこないのである。今帰仁うかみとして知られた歌にも詠まれた女性が登場しないのはなぜだろう?
ともあれ智謀家・剣術も優れた尚巴志が攀安知を打つために本部を離反させたことは他の劇作品にも登場する。堅固な城が落ちたのはなぜか?城が火に飲みすくされる様を見てすべてを知った按司は潔かった。本部を切りつけてそして尚巴志一味が見守る中で自害する。尚巴志は民思いの主として描かれる。正史は彼をヒーローにする。勝者は美しく描かれる。ひょうきんさはそこにはない。凛々しい按司がいた。人情に熱く権謀にたけた主、その連れの三良・金城が生き生きとして饒舌なほどの演技でありことばだった。なるほど、三良はうまい役柄だった。筋はまぁ通っている。音楽の新垣雄の音楽は幕間にチョンダラーの太鼓の音色を思わせる、タンタタ、タンタタ、タンタタ、である。今にもチョンダラーたちが踊りでてくるのかと思わせるリズムだった。戦場の立ち合いの場面でもそのタンタタ、タンタタが聞こえてきた。チョンダラーの念仏踊りとの差異が幾分気になったのは確かだ。
んん、品がいい、綺麗な舞台でセットもステキ、物語の筋も悪くない。幸喜さんが育てた若者たちが生き生きと演じている。陰の部分があるとすると何だろう。舞台の美しさなのかな?美しすぎる舞台はそれでいいのかもしれない。これはもはや従来の冲縄芝居の時代劇でも史劇でもない。新冲縄芝居である。新作組踊と同様に、新作冲縄芝居の演出である。1974年から何年目かな?38年目にして再演されたこの芝居は新作の上演そのものだったのかもしれない。新作冲縄芝居は新作組踊と同様、国立劇場おきなわに合った扮装でありセットであり演技であり音楽効果でなければならないのだ。久しぶりに楽しめた舞台です。「首里城明け渡し」もまぁ品よくできていたが、セリフで楽しめる芝居がいい。現代冲縄演劇協会が演じた『尚徳と金丸』のあの長セリフが恋しい。