日曜日に吉田妙子さんのマンションを訪ねた。最近食が細くなっている様子で、気がかりだったがお元気そうで安堵した。いっしょに「光る君へ」を観た。
去年の11月、御所近くの廬山寺を訪ねた。紫式部が源氏物語を執筆した寺として知られている。邸宅があった場所で、白砂の庭は落ち着いた佇まいだった。十数年前にも訪ねたが、雰囲気にあまり変わりはなさそうだった。
「光る君へ」は、第一話から観たいと思っていてテレビがないので見逃していた。作家の人生と作品の関係が興味深い。1000年以上前に女性が書いた長編物語が誕生した事は、日本文学の凄さを如実に示していると思う。
書きたかった事は、他にある。
実は妙子さんから、芸歴40周年記念公演パンフレットを改めて見せていただいた。平成5年である。
小説家の仲若直子さんが編集した冊子で、中身が充実している。写真が豊富で、こんなにいいパンフはあまり見かけない。
吉田さんの実演家(役者)としての実績が迫ってくる。その後も彼女の役者魂は、映画や新作でも発揮されているが、驚いたのは、作家の大城立裕さんと真喜志康忠さんが書かれた祝辞である。
妙子さんとご一緒に舞台化した「嘉間良心中」について、お二人共に言及し、康忠さんは、「大胆な演出で、演出者がドラマの基本をわきまえていたから、難しい内容を分かりやすく見せてくれた」と書いている。
当時旧姓で演出していたので、康忠さんは、わたしの演出だとおそらく認識していなかった事がわかる。と言うのは、その後何度も旭町の道場に通ってお話をうかがったが、「嘉間良心中」について話し合ったことはなかった。こちらから持ち出す事もなかった。しかし、氏はしっかり評価していた。それが単純に嬉しかった。
康忠さんは、現代劇も観劇していたのである。伝統芸能だけではなく時代を写す鏡として、斬新な演劇を観て、ご自分の演劇活動に活かした事が分かる。
康忠さんは、演劇とは何か、絶えず探究している方だった。
(平成5年1月13日、14日の三回公演。県立郷土劇場にて)
長堂英吉さんの小説第22回新潮新人賞受賞作品「ランタナの花の咲く頃に」を島正廣さんが脚色演出した。身体障害者の春夫が、米兵相手の「モーキヤー」だったトヨコと結婚する物語だが、泣かせて笑える優れた舞台だった!
康忠さんはジャンジャンで観たのだろうか。懐かしい。
妙子さんと米兵でモデル業もやっていたロバート。退役前だった。
妙子さんは伝統芸能の琉球舞踊やお芝居に長けていてかつ、現代劇に挑戦しつづけてきた女優だ。
師匠の親泊興照氏と天川を踊る妙子さん、