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(今コスモスの花が公園で咲いています!)
薩摩と清の支配を受けていた琉球王府の巧妙な舵取りがあったのだと推測できるのですが、劇場国家の様相は芸能そのものにも、虚構性を仕組んだのです。
男性士族層の恋の歌はおおいに表出されているのですが、身体表現としては近代まで待たねばならなかった。ただ平敷屋朝敏だけは特別だったのです。蔡温より朝敏の死が悔やまれます。朝敏は男性の恋情を素直に表出したのです。それも虚構性が伴っていたにしても、情念を、愛を描きえたのですね。対の理想としての恋愛です。愛に永遠を籠めたのです。儒教倫理など、無縁です。平敷屋朝敏が近代以降の沖縄芸能、特に歌劇を誘発したのです。近代の自我の芽生えは恋愛なんですね。
「執心鐘入」の宿の女の恋も、『伊江島ハンドー小」へと再現されていくのです。宿の女が王府時代の女踊りの原型だと考えられます。男性が女装して恋情の狂気へ追い詰められていくのです。男が女装して恋する女を演じたのです。唱えもいいです。恋する女踊リの原型は宿の女ですね。しかし、古典女踊りの愛される女たちは琉歌ではほとんどが遊里の美らジュリです。
公的な場で男達の恋情を女装で男達が踊ったわけですが、遊里では、ジュリ(芸妓、踊子)たちが踊ったのです。近代以降もそうですね。現代の古典女踊りは「新古典女踊り」です。男の思いが女の思いに大転換したのが戦後です!興味深い現象です!戦前の女踊りは四竹はやや似ていても、他の手は異なります。男性の直線的な動きが曲線になっていったのも戦後です。女たちが男の思いを奪取したのですね。「舞踊の振りは歌詞に依拠する」のです。しかし、男の恋情の琉歌を女の思いとして振り付け踊ったのですから、虚構の女性=男の心情です。
古典女踊りを男の恋情として男が男として踊りを振付けたら興味深い「男の愛の踊り」になるでしょうか?伊野波節や諸屯などを、男の恋情として、振り付けをしてどなたか踊ってみせてほしい。男の恋情の表出です。「手水の縁」の山戸がその原型になるでしょうか。男性舞踊家が、男性の思いとして恋情を振り付けて踊ると画期的になります。男装で男のウムイを「諸屯」などの古典女踊りの曲に乗せて踊るとどうなるのでしょうか⁉️男性の内なるウムイの造形です。
年末、パソコンの前で原稿に取り組めないままで、掃除に時間がとられ、また病院詣でが続いた。ICUと酸素マスクを付着しないと眠れない親族のお見舞いで時が流れた。危篤状態から抜け出ることを念じるばかりである。