西谷修氏は「日本人・日本政府の無理解は統治能力の問題」と沖縄の首長の東京行脚について論評を書いている。一方[琉球独立への道』を書いた松島泰勝氏は独立への具体的な論理・方法論を共同通信記者に明瞭に答えている。5月から[琉球独立総合研究学会』をスタートさせるという。松島さんのような知的シンクタンクが沖縄と日本にできると独立も意外と近道なのかもしれないと思える。パレスチナの事例や他の独立した太平洋の国々、スコットランドの例などもあるね。ケルト文化圏の特異性なども琉球王国に類似するところがある。太平洋諸島フォーラム(PIF)東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟し、安保は非同盟、非武装でいくと松島氏。日本とは友好関係を築き両国民が互いに自由に往来、就労できるようにするは、理想的で、現在の状況とあまり変わらない安心感が持てる独立国家というわけだね。尖閣諸島は平和創造の起点にする。中国とも友好関係を築く。などのメッセージは「地理上の不幸を幸福に」である。
FORUM OPINIONの特集は≪復帰40年とは何であったのか≫である。その中に書かれた渡名喜守太氏の「琉球独立論」の現状は興味深かった。沖縄人のことを決定する権限を日本がもっていることへの異議申し立てであり、沖縄人が自分たちの利益を守り幸福を追求するためには「自己決定権」の実現が必要ということに尽きると断言している。論稿の目玉は沖縄の指導者・知識人たちの問題の項目である。同化主義の中で沖縄の知識人が陥っている落とし穴が分析されている。つまり第三世界の上層部の知的植民地状況について指摘されてきたこと、長峰晴夫『第三世界の地域開発、その思想と方法』、玉置泰明『開発と文化相対主義』などで明らかに例示されている造形は沖縄の指導者たち・知識人層にもあてはまる、と渡名喜氏は指摘している。「弱者でありながら強者に同化しょうとする知識人の本質であり価値ニヒリズムだ」と厳しい。
同化主義に走った沖縄の指導者・知識人の持つ劣等感もえぐり出している文章である。必然的に日本への同化を美化する流れの中で沖縄的価値や文化やアイデンティティを否定する方向に進んできた歴史を見据える必要があろう。沖縄人による沖縄抑圧も相変わらずだった、という。天皇制度の問題や安保の問題はあくまで日本の問題で沖縄とは直接関係がないと言い切る視点など、斬新に思えた。自らの問題とインプットされた問題が実は枠組み外の概念だったりする事の指摘など、なるほどの論調だ。沖縄ナショナリズムの可能性は、「独立運動」の潮流とも絡んでいると言えるのかもしれない。国際機関や国際法を利用する手段もある。すでに沖縄人は日本の制度や文化、開発の下で伝統的生活や習慣から切り離された生活を送っている面が大きい。伝統的な共同体は壊され都市の消費者に転落している。なるほどです。
松島さんと渡名喜さんの論調には重複するところもあるが、≪自己決定権≫は大きな礎になると見た。そのためにどうするかである。より具体的な実践が望まれる。有形無形の文化価値に対する取り組みの希薄さもあったのは同化が疎外していたと見てもいいのだろう。日本という冠の中でこそこそと自立なり独立を追求するのか、スコットランドの事例は一つのモデルでありえるか?独立を希求するスコットランドは2014年までにその是非を問う住民投票を実施するという。沖縄でそれが可能だろうか?沖縄にとって日本とは何であったのか、と問うのが渡名喜氏で、日本にとって復帰とは何であったのか、と問うのは太田昌秀氏である。
《ただ渡名喜さんが天皇制度や安保は日本のシステムだ≪沖縄と関係ない≫と切り離す姿勢に同意できないところもあります。吉本隆明などは渡名喜さんはあまり読んでないのかもしれませんね。アジア的な生神信仰の形態としての天皇制が沖縄や琉球諸島と全く関係ないとは言えないと考えるゆえです。また安保は沖縄の現状に深く関与しています。ゆえに切り離すという論調もうなずけません。知念ウシさんも同様なスタンスに受け取れましたが、全く自分たちに関係ないと切り離すところに矛盾があるのではと、思います。近世から近代、現代にいたる琉球・沖縄の歴史を見据える時、天皇制度や安保の問題は避けては通れませんね。近代の同化(日本人化)の過程は皇民化の過程でもありました。それらをまったく反故にして論理化はできないですよね。あっさり天皇も安保も関係ないよと言い切れないところに複雑さがあります。つまり日本内国化された沖縄があり、日本の思潮が肉体化されていった面を無視できません。マイノリティーの痛み・傷を持ちながら同化してきたのも事実かと考えます。植民地化の過程と言い切ることもできるかもしれないのですが、負だけではない歴史の流れもあります。同化と異化の相乗作用もありですね。》
琉球文化を敬愛して下さる大和人も沢山居ますけど。
衣装一つとっても、インドのサリーのようにジーパンやスーツ姿と融合させることができないのだろうか?琉球諸島(琉球弧)の文化を継承していく方法論はもっと論じられていいですね。渡名喜さん、今朝(2月7日)「琉球新報」に誰も書かなかった自衛隊に触れていますね。すでに自衛隊や米軍は南西諸島を戦場にしたてたシュミュレーションをやっているのですね。住民は犠牲にしてもいい構えです。聖域に踏み込んでいますね。沖縄のメディアはもっと米軍だけではなく自衛隊の素顔を表に出すべきですね。
彼らは日本本土を守るために沖縄に常駐し、沖縄をまた日本防衛の防波堤にするためにいるのかな?誰も問わないね?政治家は中央からの甘い蜜をなめてばかりではないと思いたいが、何をしているのだろう?松島さんの提言を真剣に沖縄の政治家の頭脳と感性は受け止めた方がいいね。
宗教団体や政党など中央とべったりだからね。大きなピラミッドの中のぬくぬく感からどう脱構築していくか、みなさん真剣に問われているのだけど、政治理念としてもあまり見えないですね。知的沖縄のシンクタンクはどうなのだろうね?そこも中央とズブズブの関係の中で新しい基軸が見えないね。
反復帰論者も含め、植民地権力者に従属するパトス(受苦)の快感に浸っている余裕はないはずですがね。内部から切開・切り崩していく方法論が問われているね。全く観念すべてが日本従属の大学インテリーも多い。メディアもその気配はあって、つまり価値の基準が中央にあって、沖縄独自の目線なり位置づけの中になかったりするのよね。その事例はいろいろと文学賞なども含まれているように感じるね。いろいろ書くと、本音が出すぎるからここらへんでやめます。