昨日の紙面のこの寄稿が気になって観世寿の著作集全四巻の中の一巻『世阿弥の世界』をめくった。お能を創設した観阿弥世阿弥は侍ではなかった。の演戯者だった。江戸時代にお能は式楽になって、様式化が強化されていったことがたどれるが「侍の身体だった」と定義できるのだろうか?
「世阿弥が理想とした能とは、一言でいってしまえば、劇的なものと音楽的なものと舞踊的なものをひとつに融合した舞台であった。それは『井筒』や『野宮』など、おおかたは美しい女性をシテとした無幻能によって代表される」と観世寿は書いている。」
「世阿弥のいう幽玄な美とは、それはまず当時の文化貴族があこがれた王朝風な優艶さ、そうした美を舞台の上に花咲かせようとするところから始まったであろうが、彼の思いの中には、外面に顕現される美しさだけではなく、美しいものを発見する感性といったものも含まれているように考えられる」
狩俣氏は侍や士族の身体を強調したい意向を強烈に文面に滲ませている。お能の役者(男)が演じた女たちが幽玄の象徴だった、ということがアイロニーだと思える。侍の身体ではなく男たちが演じた女の身体(仮象)が幽玄の最たるものだった。
そして組踊を担ったのが首里の士族層だったのはその通りだ。そして朝薫五番を見る限り、男の身体が表象した女たちが中心である。朝薫の中軸はまたけなげな女(母親)と子供のたちの情愛が肝心を打つ。清々しい子供の美は「二童敵討」で顕現される。母と子供が中軸だね。組踊の〈靜〉の身体は、琉球士族の貴族的な優美な動きから生まれたのだろうか?「組踊の〈靜の世界〉はチュラ(清ら)の理念を追究するための装置である。」と狩俣氏は書いている。しかし、その(チュラ)の理念がはっきり浮かび上がってこない。
従来、組踊は儒教倫理を具現化した総合演劇(詩劇)である、とされる。組踊の論理・理念は忠・孝・節だとされる。その演じる身体が追及する理念が(チュラ)だとの論理かもしれない。しかしチュラとは?琉球的美意識と言い換えてもいいかもしれない。琉球の美の概念がどう身体表象として立ち現れるか、吟味するのは興味深い。独特な様式がそこにある。その様式、身体の動きが集約される理念とは?意識的に身体性について考えてみたい。