志情(しなさき)の海へ

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【世界に広がるシマクトゥバと琉球芸能文化】ーしまくとぅばプロジェクトシンポジウム印象!

2011-10-19 09:11:20 | 言語
    (「しまくとぅば」プロジェクトより「ウチナーグチ」プロジェクトがいいね!)

夜の6時から9時という人気のない博物館・美術館講堂には50人前後の方々が集っていた。あの世界のウチナーンチュの報道を長いこと続けていた前原信一氏も最後まで参加していた。芸大の琉球舞踊の教員や、このシマクトゥバプロジェクトの一員だという比嘉豊光さんもーー。

言葉の記憶装置としての芸能でもあると考えていて、昨今、やはりことばの問題は大きいと思う故に、夜の時間が気になったが参加した。

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チラシに「アメリカ・ハワイや南米に移住した1世、そして2世、3世以上の方々が沖縄文化やウチナーグチ、伝統沖縄芸能をアイデンティティーの拠りどころとして習得と継承につとめています。ウチナーグチについて啓蒙と普及・継承に取り組んでいる「しまくとぅばプロジェクト」と文化の杜共同企業体は、世界のウチナーンチュ大会の開催期間中に「世界に広がるシマクトゥバと琉球芸能文化」をテーマにシンポジウムを開催し、海外における沖縄県系移民の方々のこれまでの取組を見つめ直すための意見交換をおおこないます。」と記されています。

 コーディネーター:かりまたしげひさ(琉球大)
 パネリスト:村田グランント 定彌”サンダー”(安富祖流絃聲会師範・同会ハワイ支部)
       「ハワイにおける琉球芸能文化の継承:実勢を通して」
 大城學 (琉球大)「沖縄から発信する琉球芸能文化情報」
 石原昌英(琉球大)「ハワイ・アメリカにおけるウチナーグチの継承」
 金城宏幸(琉球大)「ウチナーグチの継承を考える:海外のいくつかの事例から」
  10月18日、18:00~21:00
  県立博物館・美術館講堂
  参加費:500円(なぜお金が出たのかな?)
  文化の杜共同企業体 098-941-8200
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3時間みっちりと各パネラーのご報告があり、後半は簡単な質疑応答があった。会場からの前もって書かれた質問にパネラーが応える形式でなされた。会場からの質問は前原信一さんだけで、じっくり討議できるゆとりはなかった。

面白いと思ったのは報告者のどなたも「しまくとぅば」という言葉を使う事がなく、「ウチナーグチ」の言葉が飛び交ったという皮肉である。コディーネーターのかりまたさんが「しまくとぅば」ということばを何回が発していたが、しかし「ウチナーグチ」の表出が中心だった。つまり「しまくとぅば」ということばへの違和感がわいた。「しまくとぅばの日」条例が5年前にできたのだが、まったく曖昧なシンボル表象だという事で、現在の沖縄の曖昧さが照らされているとみていいだろう。

つまりこのシンポジウムの企画者、琉球大学の知識人や文化の杜のブレインたちのセンスの曖昧な言語認識がそこに鮮やかに表示されている、という事である。「しまくとぅば」の曖昧な概念が一人歩きし、「ウチナーグチ」の実態が浮き上がっているというその落差をどう埋めて行くのか、に興味がわいた。

つまり2009年に世界の言語学者の基本認識に基づくと琉球方言(沖縄方言)と従来、廃藩置県(琉球処分)以降、すぼめられ、バカにされ、痛めつけられてきた琉球弧の言語が、実は日本語と異なる独立言語である、とユネスコに提起され、それが世界的に認められたにもかかわらず、沖縄の言語知のリーダーたちが曖昧な対処をしているという、構図が見えてきた。

それが例えば第5回世界のウチナーンチュ大会の総括の中で、世界のウチナーンチュの「モーラルベイス、ホームランド・精神的土壌」の沖縄の方が自らの根の言語喪失に陥っているのではないか、の指摘が紙面で踊っている。沖縄がすべて日本に取り込まれたような精神的・言語的・植民地化の現象を諸に実践として実存形態があるという、悲しむべき現実を逆にあぶりだしているのではないか、と危惧の念が高まる。

しかし3世、4世、5世などの若者たちが【世界ウチナーグチ大会】を提起したという大会の宣言は、たとえばこの「しまくとぅば」企画がいかに時代遅れの表象かという事を示している。【世界ウチナーグチ大会】である。「世界しまくとぅば大会」ではない、という事実を星さんが会長をつとめる『沖縄文化協会』も再考するべきだろう。しまくとぅばではなく、【ウチナーグチ】の中に網羅される琉球弧の言語認識・感性を尊重すべきだろう。

それと独立言語だとの認識と方言認識との違いについてもっと掘り下げてほしいと思う。ウチナーグチが方言という132年の経緯の中で例えば戦時中は日本語ができない中で、ウチナーグチは方言で下等言語=スパイ言語として、何人の人々が犠性になっただろうか?

それが南米やハワイにおいても移民の方々が戦前の植民地構造の中で自らの言語を蔑み、蔑まれ日本語(広島弁)の中で卑下した言語と文化(三線・芸能)を隠れて継承してきたという歴史の経緯は、沖縄そのものが、27年の米軍占領を経て72年の日本復帰があり、ようやく80年代に多文化主義、多元性尊重の世界の潮流の中、日本の中の沖縄の独自な歴史・文化の誇りに目覚めていったその潮流を、世界のウチナーンチュもまた同じ波を浴び、80年代以降に沖縄文化・言語を自ら取り戻す歴史が始まったという石原先生のアンケート分析データ―は納得がいった。世界のウチナーンチュはウチナーグチを沖縄文化を大切に思っている。その継承発展を望んでいる。そして彼らの母国であるウチナーの言語文化の【精神的砦の強固なスタンス】を望んでいるという事があきらだと分かった。

石原さんも一度もしまくとぅくばと発言することはなく、ウチナーグチである。氏は方言とも決して言及しない。言語である。

金城宏幸さんのスペインやフィリッピンの事例は歴史・文化・少数言語・時代の潮流の関係性が明らかに浮かび上がった。多言語社会スペインのデータ―やアメリカのスペイン語の実態もまた興味深く、誰がその言葉を話すか、日常の実態の重要さが見えてきた。ハワイにおけるハワイ語の成果が、勢いが観光産業と結びついていること、つまりフラを踊るためにハワイ語を習得し、ハワイ語で語ることによる固有性の魅力が産業に結びついていることなどは、沖縄の観光産業でもウチナーグチが沖縄の風土の独特な個性・文化コンテンツとして付加価値を高める可能性がある、という事に結びつく、と言えよう。スペインの少数言語の再活性化も、ハワイのエスニシティーの魅力も、モノクロ的な世界のスーパーパワーの勢いの影の部分がせり出している。モノクロの同じ顔に魅力はない。独自の個性をどう追求するか、それが大きな政治・経済パワーにかすめ取られる事のないものーーー。沖縄人のこころに迫る、魂の根にある言語を失ったらもう私は誰であり、誰でないか、曖昧模糊として指標のない航海を続けることになるのだろう。


(かりまたさん、サンダーさん、大城さん、石原さん、金城さん)

トータルなマスターブランの必要を金城さんは訴えた。教育のカリキュラム、法律の整備、標語、日本語とウチナーグチの二重表示の試みなど、芸能の軸が常にウチナーグチであるという事から、三線文化・琉球舞踊や空手やエイサーも含め琉球弧総体が文化発信の母胎として大胆に繊細に取り組む必要があるのだろう。

その前に【蔑まれてきた方言ではなく独自言語だという認識(脱植民地化)】が最も大事だと考える。それを言語研究者が率先して発信してほしい。

また大和の観光客に受ける芸能や泡盛ではなく伝統的なもの泡盛・芸能・演劇の大切さが問われている。【世界に発信できる沖縄芸能文化情報センターの創設を!】の大城學さんの提起はいいと思った。

ウチナーグチをしっかり理解できない芸能表象の問題は、(実際の舞台の淡白さに出てくる)今まさにウチナーグチをしっかり学び、習得し、それを語り合う空間が望まれている。

また着付けを含め変容/変節、歪められる形やセンスや台詞やリズムも問題で、どれだけ伝統を継承していくかも問われている。

移民のウチナーンチュの動向と沖縄の現在の動向はパラレルにある面と、多少のズレもあるようだ。自らのルーツに対する誇り・自信が世界のどこにいっても生きる勇気・エネルギーの元になるのはその通りなのだろう。

ウチナーグチでしか表現できないことば、肝心(ちむぐくる)志情(しなさき)はウチナーグチにしかないのである。世界のどこに行ってもチムグクルである。ウチナーの言葉で何か言いたい思いが常にある。

ウチナーグチを習得する事は沖縄人としての幸福度を高めるに違いない。カリキュラムに、ウチナーグチを早く、ハワイの事例やケルト文化圏の事例を参考に、実施を望みたいね。

【方言ではなく独立言語としてのウチナーグチ】を教えるのである。方言だといつまでも差別の傷、蔑みの傷を引きずることになる。【独立言語】としてのプライドの上に習得し話すことが沖縄文化の豊饒さ、幸福度のUPにつながるに違いないと感じさせた。

統一的なことばは首里那覇言葉になるのでしょうね。地域語はそれぞれでいいが、ウチナーグチでいいですよね。

かりまたしげひささんが方言、方言とお話される度に痛いと思った。ウチナーグチではなく首里方言、那覇方言とお話する度に、どうして独立言語ではないのですか、と気になった。

方言という事で戦前の沖縄芝居の役者たちはとてもバカにされたのです。日本の同化の中でウチナーグチ芝居はバカにされながら、ウチナーグチで独自の歌劇であり史劇を生み出してきたのですよね。それらの痛みをそのまま押し付けるニュアンスが「方言」の二語に込められているようで、方言=方言札を思い出す。

***
独自の独立言語認識には誇りが伴いますよね。人生の後半のステージをウチナーグチを習得し、歌三線をたしなむことにしたいと切に思っています。もちろん批評と研究の対象としての沖縄の芸能・演劇・文学についてはしっかり書物にまとめてあの世に飛びたいですね。


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