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喜劇「人類館」印象批評⇒若者、中堅役者が演じる「人類館」はBlack Comedy(Dark Comedy)で一部風刺の笑いはあっても喜劇の冠はちょっとね!

2021-02-18 23:12:55 | 沖縄演劇
1903年に実際にあった人類館事件が端緒なので、それから1975年の海洋博の頃までの近現代沖縄の歴史を不条理劇の円環構造で描いているので、サーカス的な(?)調教師の演技のメリハリ、陰影は末吉さんとても良かったけど、Dark Comedy!だね。
 「あははは」と笑える喜劇ではないです。喜劇と冠はつけない方がいいです。ダーク・コメディーにしても、ちょっと重たい。皮膚感覚で迫ってくる内容ですから、まぁーマスクや女はゆんたくだからは、昨今の時流をかすめ取っていて、悪くはないと感じたが~。

「うちなーぐち」の分からない熱いシェイクスピア研究者の動画を観た感想や同じく社会学系の「うちなーぐち」の分からない研究者の論がネットで読めます。表層をなぞっている感じがしました。


まだ若い頃演出した経験では、とても暴力的な作品です。絶えず展示された男は殴られてばかりいます。権力は暴力でくるのですね。目に見える暴力シーンに驚きます。セリフで語られる中身も衝撃が走ります。集団自決の殺戮場面、裸で殺される娼婦、尋問で殴られる男(富村順一)、戦場で殺される郷土防衛隊の沖縄人、壕の中で殺される赤子、レイプされかかる、実際レイプされたであろう女子挺身隊と、沖縄の歴史の暗部(悲劇)がこれでもかと並んでいます。そして加害(暴力や差別、欺瞞・偽善)の中軸に居座るのが天皇陛下なんですね。「ていのうへいかばんじゃい」の現人神の存在はこの戯曲で大きいですね。
知念正真さんの凄さは、そこですね。沖縄に戦後はない、ように、繰り返される歴史は変わらない~。この戯曲は日本国家の麗しい憲法や天皇制度の権威が存在する限り、生々しく現在を打ち続けるのですね。知念さん、凄い方です。アメリカの実験劇場でも笑いをとっている所はもちろんありました。しかし一部です。

調教師の仮面性は自らの出自の独白も含めて、自らが日本という国家の中で加害者として同胞を差別し利用する欺瞞性を暴いていて、そこにこの戯曲の大きな風刺が際立っています。また芋と手榴弾が生死の象徴として生かされています。この作品が喜劇だとすると、沖縄人の調教師がいわゆる差別する側、加害者であることにより、差別や悲劇が沖縄内部から内発的に生まれていく構図をえぐり取っていることになり、これが最大のブラックコメディー(風刺)になるのでしょう。そして展示された男もまた加害者側になれる構造です。権威を保管する存在として国家システムを維持する側になります。女性たちはその循環からは弾かれているけれど、傍観者で達観して見る側としても描かれているようですね。最大の犠牲者であり、かつ権力に従順でありながら、土着の根を張っている存在でもある~。

演出効果としてはすでに戯曲の中に琉球歌劇や民謡、古典、京太郎(ちょんだらー)を網羅し、沖縄の根のリズム、感性を包摂しています。それらが重い歴史に幾分軽やかなリズムをもたらしています。今回冒頭の「御前風」の古典音楽に乗せて展示された男と女が踊ったのはいいね。前も同じ演出だったかしら?上江洲さんの演出はこの間の知念さんや、幸喜良秀さんの演出とは幾分変化があり、軽やかなリズム感が感じられたのは良かったです。そう言えば組踊の型も入っていました。教育勅語を読み上げる場面に曲想の違いによる変化は三箇所あり、最後は歌三線で逃げ出す、なるほど、土着パワーは命どぅ宝ですね。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjstr/46/0/46_5/_pdf/-char/ja ←平敷尚子さんのこの論文がテキスト解釈としてとてもいいですね。当初の戯曲の変容を分析しています。

テキストレジ-で戯曲が全部丁寧に演出され舞台に表出されているわけではありません。海洋博の部分は割愛されています。他にもいろいろありますが、演出家によって再構成される演劇です。

演技は調教師の末吉巧治さんが熱演でした。迫力があり、かといってメリハリのある演技とことばの表現、感情も含めて、目が離せない巧みさでした。津波さんの出だしの目の表現など、良かったですね。標準語がうまく話せないうちなー男の雰囲気も良かったです。女役の上門みきさんも、うちなーぐちもなかなか良くて、踊りもなかなか見どころがあり、男とのやり取りに水の流れのような柔軟なイメージが良かったです。老女の役を含め一人何役もやるので、頑張りました。

 映像ではなく、生の舞台で見たかったですね。

 舞台美術はちょっと小屋が高すぎの印象。アメリカでは説明が必要なので、小屋の上に大きな日の丸を掲げ、そこには白馬に乗る天皇の写真や他戦場の場面投射しました。25枚ほどだったか~。

簡単な印象批評です。ぜひ舞台でまた上演してくださいね。毎日のようにフランスで上演されるというイオネスコの「授業」のように(最も今はコロナというパンデミックゆえに毎日上演されていない現況でしょうけれど)、毎週でも沖縄ならず日本各地で上演されていいお芝居ですね。

しかし、女性研究者の批評(論)をネットで読む限り、うちなーぐちの壁は結構大きいようですね。ただし高嶺 剛監督の映画作品はオールうちなーぐちですから、それに字幕がついているのだけれど、劇場でもうちなーぐちの日本語翻訳をつけることは可能です。多言語演劇の上演はいろいろ実験的になされているので、またアメリカでかつて観た鈴木忠志の「トロイアの女」は日本語上演でかなり好評でした。観客は物語【筋】をよくしっているので、異文化バージョンの解釈と演技に喝采したのかもしれませんが~。蜷川幸雄の日本語上演マクベスがロンドンで喝采を受けたように~シェイクスピア作品は世界演劇のアイコンですから~。アメリカで観た鈴木忠志の舞台は細かい解説のパンフレットがついていました。人類館の上演のために詳しい解説が日本各地での上演のために必要かどうか~?うちなーぐちの持つ意味性は大きいので、分かってもらわないとこの作品の魅力が削がれてしまいますね。
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(ウィキピディアからです!)
ブラックジョーク(英: black joke、black comedy)とは、倫理的に避けられるタブー(生死・差別・偏見・政治など)についての風刺的な描写や、ネガティブ・グロテスク・気味な内容を含んだジョーク・コメディ・ユーモアを指す言葉である。

最も描かれているトピックの中には、死、病気、戦争、人種差別、強姦、悲劇などの深刻な問題がある。

英語圏では語源の「Black humor ブラック・ユーモア」を初め、「Black comedy ブラック・コメディ」「Dark comedy ダーク・コメディ」とも呼ばれるが、意味する所に大きな違いはない。

以下は2022年11月3日~6日までなはーと小劇場で上演された舞台を見ての印象です。


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